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コロニア・サンファン 2015年10月13日

コロニア・サンファン 2015年10月13日

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サンタクルスから150キロ離れた・コロニア・サンファンへやってきました。真っ先に歴史資料館を見学したかったのですが、到着したのが12時で14時までは昼休みで見ることができません。

 

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まずは、腹ごしらえとコロニア・サンファンの村の中を探すと、小料理ITOの文字が。日本食レストランのようです。

 

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チャンポンを注文。35ボリビアーノ(600円)。コロニア・サンファンは長崎県出身者が多いそうなんで、チャンポンもメニューにあるんですね。中盛りを頼んだはずなのに、凄いボリュームです。味の方は、私自身がチャンポンを今まで数回しか食べたことないので何とも言えませんが、こんなんだったけ?という微妙な感想です。

 

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町並みはというと、ごく普通のボリビアの町だし、歩いている人もほとんどボリビア人ばかり。日本人が230世帯、約800人くらしているそうですが、どこにいるの?という感じ。でも、車を運転している日本人は居たし、豪邸の表札が日本人の名前でした。確かに住んでいるのでしょう。地主が多いということなので、暑いさなかぷらぷら町を歩いたりしないのかもしれません。

 

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資料館を見学するためには、日本ボリビア協会で受付をして、鍵を借りる必要があります。受付のお嬢さんたちは、日本語で資料館への行き方を説明してくれました。

 

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元々、日本人がなぜ南米へ移民として来ることになったのか。移民第一号は1899年のペルー行きですが、理由は日本が貧しく失業者が多かったこと、そして、当時の南米諸国は日本より豊かで土地があまっており、労働者が不足していたことがあります。両国の利害が一致して移民政策が行われるようになったのです。その後、ブラジルへも移民が増えて行きました。

 

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コロニア・サンファンの場合は、1955年に移民がはじまったのですが、日本で精糖業をしていた西川利通という人が、当時、移民政策に積極的なボリビアで精糖業を起こそうと計画し、呼びかけに集まった14家族88人が最初に入植して、今まで発展してきたようです。

 

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南米で農業で成功したいという思いでやってくる人は多かったようです。船で40日かかってブラジルへ着き、底から列車でボリビアのサンタクルスへ、そこからさらに奥地のサンファンへやってきました。

 

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最初は原生林を切り開いての開拓が続き大変苦労されたようです。当時はもちろん舗装などされておらず、道がぬかるみ移動も困難。ジャングルの中には、危険な動物もいたようです。日本で育った私には、写真や文字で当時の様子を見ても、今一つ実感が湧いて来ません。貧しい日本から豊かな南米へ行き夢とチャンスを掴むというのも想像しがたいことです。

 

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今年で、コロニア・サンファンは移住60年を迎えました。ここで作られるサンファン米はラパスの市場でも見かけました。大変質の良いお米のようです。私も日本食レストランで食べましたが、日本米のように美味しかったです。今はみなさん農業で成功されているようです。半日見学したくらいでは何もわかりませんし、移住初期の苦労も想像できません。ですが、南米にたくさんの日本人移住者が暮らしていることについてもう少し知りたい、というきっかけにはなりました。パラグアイやブラジルにも移住地があるようですので、機会があればまた訪ねてみたいと思いました。

 

ボリビア6

コロニア・サンファンの場所。

 

 

 

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コメント

  • メガラッキー より:

    日本人を受け入れてくれた南米諸国の皆さま、ありがとうございます。関係者になりかわりまして御礼申し上げます。

    バイクに猫ちゃんがまとわりついてます(*^^)。歓迎してくれたんですね(=ΦエΦ=) 。
    ちゃんぽんのイカなど具の量が多い事、たいへんな事になってますね。

  • けんいち より:

    こういうのを爆盛りとか、メガ盛りとかいうのでしょうね。でも、中盛りを頼んだはずなのにな~

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