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ディエンビエンフー町歩き 2014年2月5日

ディエンビエンフー町歩き 2014年2月5日

ディエンビエンフーの戦いで有名なので、観光客がもっと多いかなと思っていましたが、町にはあまり外国人観光客の姿は見られません。

テト(旧正月)の休みはいつまで続くのだろうと思っていたら、今日はディエンビエンフーの市場が開いていました。ということは、5日間市場が閉鎖されていたことになります。市場が開いたということは、テト休暇も終わり、これから町が普通に機能して行くのかな?これで、町を歩いてもシャッター通り、食べる場所も無い、という不安からは解消されそうです。

 

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ディエンビエンフーの市場の様子。全店オープンはしていませんが7割くらいの店はやってました。

 

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市場の飯は世界共通、安くて美味い。フォーが20000ドン(100円)でした。

 

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町の中心にある勝利の記念像の丘に登ってみました。ディエンビエンフーの町を眺めたところです。メインストリートをちょっと行けばもう田園風景。そして更に向こうにはベトミン軍がフランス軍を包囲した山々がグルリと町を囲っています。

 

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この風船商売が人気のようで、最近ベトナムのあちこちで見かけます。子供にねだられると買ってしまうお父さん方が多いようです。

 

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床屋さんのことを、南ベトナムでは「ホットトック」、北ベトナムでは「カットトック」と言います。大通りに鏡を吊るして椅子をひとつ置けばもう立派な床屋さんです。こちらの店は鏡に散髪料金が表示されていました。30000ドン(150円)というと、ちょうどフォー1杯の値段と一緒だから日本でいうと500円くらいの感覚でしょうか。

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インドシナ戦争でベトナムはフランスに勝利しますが、そのクライマックス、ディエンビエンフーの戦いで、最後までフランス軍が立てこもったのがこのA1の丘でした。入場料15000ドン(75円)。当時使われていた戦車も展示されています。

 

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奥の大きな穴はベトミン軍に爆撃された跡。溝はフランス軍がベトミン軍を迎え撃つためのもの塹壕です。

ディエンビエンフーの戦いでベトナムがフランスに勝って、ベトナムは北緯17度で南北に分断され、ドロ沼のベトナム戦争に入っていくわけですが、その前後の事を補足しておきます。

 


 

ベトナムは1800年代後半から長いことフランスの植民地でした。 第二次世界大戦で1940年にドイツがフランスを占領したのをきっかけに、今度はドイツの同盟国である日本がベトナムに進駐します。

そんな時代の中、ホーチミンが植民地支配に抵抗する組織、ベトミン(ベトナム独立同盟会)を作り活動を開始しました。

1945年に日本の降伏で第二次世界大戦が終結。同年9月ホーチミンがベトナム民主共和国の独立を宣言しますが、翌1946年、再支配を試みるフランス軍とホーチミン率いるベトミン軍が衝突してインドシナ戦争が勃発します。 植民地支配をする側のフランス対、される側のベトナムの戦いという形で始まったインドシナ戦争でしたが、1950年の朝鮮戦争をきっかけに、ベトミン軍をソ連が後押しし、フランスにはアメリカが援助する、民主主義対共産主義という冷戦構造の戦争に発展しました。

※私たちも今まで知りませんでしたが、ベトミン軍には、実は第二次大戦で敗戦し帰国しなかった600名の残留日本兵が志願し入隊しています。彼らは日本名の他にベトナム名を持ち、ベトナム社会に溶け込み、新ベトナム人と呼ばれていました。多くはベトミンへ戦い方の指導をする教官として活動し、ベトナム政府から表彰されたり勲章をもらっている人も多数いたということです。

ベトミン軍は飛行機も無いし、持っている武器も古くて貧弱、対してフランス軍は高性能の兵器や航空機を大量に持っていました。ところが、ベトミン軍のゲリラ攻撃にフランス軍は苦戦します。

1953年、その打開策として、フランス軍はラオス国境のディエンビエンフーに滑走路を備えた巨大軍事基地を作りました。ここに基地を作れば、ソ連や中国からベトミン軍への援助物資のルートを断つことが出来るし、険しい山々に囲まれた基地は、飛行機を持たないベトミン軍には攻略不可能と考えていました。

ところが、フランス軍が不可能と考えた深い山の中を自転車、1輪リヤカー、そりなどを使って物資を運びながらベトミン軍は突き進み、ディエンビエンフーを見下ろす山々にたどり着きました。

1954年、フランス軍16000人、それを囲むようにベトミン軍4万人で基地を包囲し、ゲリラ戦でベトミン軍が勝利。インドシナ戦争は終結し、ジュネーブ協定でベトナムは南北に分断されます。北はホーチミンを首相とした社会主義政府、南はアメリカの押したゴジンジェム政権が誕生しますが、治まりが着かず、ベトナム戦争へと流れて行きます。


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フランス軍最後の砦、A1の丘に落とされたベトミン軍の爆弾跡がすり鉢状に残されています。 東南アジアの小国、かつて自分たちが支配していた国にまさか負けるなどとは、フランスは思いもしなかったでしょうね。

現在、ベトナムでは普通の風景である、カブに牛や植木や冷蔵庫を積んで運んでいる姿が想像できれば、あるいは、ベトミン軍は軍事物資をディエンビエンフーを囲む山々へ運び、自分たちの基地を攻めてくるかもしれないということもわかったのではないでしょうか?

フランスはベトナムを60年近くも植民地として支配しながら、ベトナム人の頭の良さ、応用力、器用さ、忍耐力、勤勉さなどを本当には理解していなかったのだと思います。そして、フランスが退いたあとやってきたアメリカはそれ以上にベトナム人というものを知らなかったのだと思います。

 

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陽射しが強くて暑くてたまらんです。ちょっと前まで寒くてブルブル震えていたのに嬉しい限り。のどが渇いて南ベトナム以来久しぶりにサトウキビジュースを飲みます。ご飯もコーヒーも南ベトナムの2倍くらいするから、サトウキビジュースも高いかな?と思ったらやっぱり2~3倍の10000ドン(50円)。

 

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路上で売っていたパイナップルを買って食べました。上手いこと皮をむいて売っています。 1個15000ドン(75円)。甘くておいしかったです。

 

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昼食は町の中心部の食堂で。出来合いのおかずを指さし注文するクアンコムビンザンの店は見つからず、改めて注文して調理してもらう形式の店へ入りました。魚のトマト炒め、春巻き、ご飯、ビール、2人で110000ドン(550円)。特に魚のトマト炒めの味が良かったです。値段も適正価格で満足でした。

 

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午後はディエンビエンフーの戦いの博物館へ行って見ました。入場料は一人15000ドン(75円)。左はけんいち、中央はホーチミン、右はヴォーグエンザップ(ホーチミンの一番弟子)。

 

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フランス軍が攻略不可能と考えていた険しい山々を、このような自転車に武器や食料を積んで突き進んで行ったことが展示されていました。考えてみれば、今もこのような荷物満載の自転車やカブが町を走っているじゃありませんか!辛い植民地支配から解放される希望を持って、このスタイルでジャングルの山を越え谷を越え、勝ことを信じて進み続けました。攻略不可能、絶対安全の神話がフランスを負けに追い込んだ要因でしょう。

 

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物資を運んだ木製の一輪車も展示されています。

 

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フランス軍司令部横にある、旧ムオンタイン橋。戦争時代は破壊されましたが、今は橋が架けなおされて周辺は野菜や果物が売られる市場として活気がありました。私たちはこの橋のたもとでマンゴーを2個、20000ドン(100円)で買いました。

 

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夕方、朝も登った勝利の記念像のある丘に登ってみました。朝は逆光だった記念像を順光で撮影し直します。

 

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 勝利の記念像のある丘から見た夕方のディエンビエンフーの町と田んぼです。

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コメント

  • メガラッキー より:

    パイナップルにサトウキビジュース。一体そこではどんな味なのでしょう?むかしから変わらないあじなのでしょうか?ジュースを飲む事で歴史が理解できそうです。

  • ぽこけん より:

    メガラッキーさん、大昔から食べられているものだと思いますよ。

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