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中国国境地域を行く 2014年1月21日

中国国境地域を行く 2014年1月21日

ハロン湾観光を終え、ベトナムツーリングもいよいよ終盤戦になりました。

これからはベトナム北部の山岳地域をツーリングしながらラオスへ向かいます。

実は、ぽこけん的にはベトナムでこの、北部山岳地域が一番興味があり、旅行してみたいエリアでした。

山岳地へ行くと気温が下がるのが心配ですが、じっくりとこの地域をツーリングしてみたいと思います。

今日はハロン湾を出発し中国との国境付近を北西方向に北上しました。

 

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ハロン湾のオススメ宿、ニャーンギ・アントのおかみさん。ベトナム女性には珍らしくおしとやかな方ですが、細かい気配りが嬉しかったです。ハロン湾にもう一度来ることがあったらまたここに泊まりたいです。

 

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ハロンのバイチャイ市場まで移動し、朝食。観光地なのでしっかり事前に値段を確認してからブン(ヌードルスープ)を食べます。ここの店のブンは具が、エビ・牛肉ミンチの香菜巻、油揚げ、美味しかったですね。朝食はやっぱり麺なのがベトナム流です。1杯30000ドン(150円)。ベトナム南部でブンが30000ドンは高すぎですが、物価の高い北部ではこれで当たり前の値段です。

 

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ハロン湾から東へしばらく走っていると、鳥売りのおばちゃんに遭遇。自転車に鳥かごがいくつも乗せられ、ピーヒョロヒョロなどと美しい鳥の鳴き声が聞こえてきます。ベトナムでは鳥の声を愛でる習慣があり、店先や庭先に鳥かごを置いているのをよく見かけます。音色だけでなく、鳥かごが竹製だったりして、良い雰囲気を醸し出しています。鳥売り商売もかなり需要があるようです。

 

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ハロン湾か東に進んだ後は、ティンイエンから中国国境と平行して国道4B号線を北西に向かいます。だんだんと標高が上がり、山岳地域へ入って行きます。 ディンラップという町で何族かはわかりませんが、綺麗な衣装の少数民族のおばさんを見かけました。

 

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ディンラップで昼食。さつま揚げ、玉子焼き、キャベツ炒め、スープとご飯で2人で80000ドン(400円)。

 

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食堂で飼われていた子犬。まだ2か月、オスのメックです。段ボール箱がお気に入りのようです。

 

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人口密度も少なく、ベトナムの最果て感漂う道を走って行きます。メコンデルタ付近の風景と比べるとまるで別の国です。

 

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この辺りで一番大きなランソンの町に着きました。

ここは、1979年の中越戦争(中国とベトナムの戦争)の大舞台となった町です。ベトナム戦争は中国の支援する北ベトナム共産党政府が勝利することで1975年に終結しました。中国はなぜ、一生懸命支援し続けたべトナムに対し、その4年後戦争を仕掛けることになったのか、それにはカンボジアが大きく関わってきます。

ベトナム戦争が始まったときは、カンボジアは中立を目指しシアヌーク殿下が国を治めていました。しかし、それがアメリカにとっては不都合でした。叩いても叩いても、ラオスやカンボジアのジャングルに網の目のように走るホーチミンルートを通って、敵である北ベトナム政府軍と南ベトナム民族解放戦線に物資が供給され続けるからです。

カンボジアを中立ではなく、アメリカの言うことを聞く国にしようとCIAが支援し、1970年、シアヌーク殿下が外国へ行っている間にロン・ノル首相がクーデターを起こし、親米政権を誕生させました。

しかし、アメリカはベトナムから撤退し、1975年にベトナム戦争は北ベトナム共産党の勝利という形で終結しました。同時にカンボジアにはポルポト率いるクメールルージュ軍(カンボジア共産党軍)が首都プノンペンに突入にし、親米のロン・ノル政権はあっという間に倒れ、ポルポト政権が即時誕生します。

プノンペン市民200万人を農村へ強制移住させ、集団農場で働かせる、抵抗した人は皆殺されました。目指したのは紙幣もない原始共産制、知識人は不必要と虐殺を繰り返しました。当時のカンボジア総人口600万人のうちの200万~300万人が殺されたと言われています。

あまりの恐怖政治で反政府運動とはならないものの、当然、国民の不満は高まって行きました。そこで、ベトナムへ戦闘をしかけ、国内に緊張感と別の敵を作ることで、ポルポトは政権を安定させようとしたのです。

政権内でも不満や組織の分裂があり、元ポルポト軍将校ヘンサムリンと数名の部下たちはポルポトから脱却しベトナムに援助を求めました。それがベトナムによるカンボジア侵攻のきっかけとなり、1978年カンボジア・ベトナム戦争が始まりました。

ベトナム軍10万人のカンボジア侵攻によって、キリングフィールドが発見されます。それまで、何が行われているか外部からは見えなかったカンボジア、そこで見つけたのが死臭に満ちたカンボジアと全土に転がる人骨群だったというわけです。ベトナム軍侵攻後、僅か2週間で狂気のポルポト政権は倒れ、ポルポトは北部のジャングル、アンコールワット付近に逃げ込みます。

ポルポトの力の弱まったカンボジアでは、1979年、ベトナムの支援を受けてヘンサムリン政権が樹立されます。ベトナム軍はその後もカンボジア内に駐留し、ポルポト派との戦闘を繰り返すことになりました。ポルポト派はタイ国境に近いジャングルを基点にゲリラ活動を開始し、カンボジアは再び激しい内戦となりまた。

中国はベトナム戦争時、北ベトナム共産党軍を支援していましたが、ポロポト率いるクメールルージュのと戦争となると、今度はクメールルージュ側を応援する方に回りました。ベトナムの勢力が拡大することをよく思わず、ベトナムに戦争を仕掛けます。鄧小平は「ベトナムを懲罰する」という言葉を使って批難しました。

1979年、中国軍20万人が一斉にベトナム北部を攻撃します。これが中越戦争の始まりです。場所は、私たちの今居るあたり。ベトナム軍がカンボジアから手を引き、ポルポト派が息を吹き返すことが目的でしたが、中国軍は人海戦術で2万人死亡、ベトナム軍はアメリカの残した兵器で戦い7000人死亡しました。これが中越戦争です。

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中越戦争の大舞台、ランソンの街の中心部の交差点では、犬の火葬?ではなく調理が行われていました。犬を食べる文化圏にいよいよ入って来ました。この町は中国国境までわずか15キロです。

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せっかくなので、中国との国境まで行ってみました。ベトナム側のイミグレーションで記念撮影。いつか、中国を自由にバイクで走ってみたいです。

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今日はドンダンという、中国国境までわずか3キロの町に宿泊します。この道の突当りが私たちの泊まっている宿、ニャーンギ・ダックハンです。1泊20000ドン(1000円)。

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 夕方、町をぶらぶら歩いて見ます。路上の床屋さんがありました。

 

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市場ではやはり、犬肉を売っていました。文化の違い、しかたないです。

可愛がられている犬もたくさんいて、食べられる犬もたくさんいる。食べる系とペット系の違いとかあるんでしょうか?今一つ感覚がわかりません。

 

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市場の野菜売り。大根とキュウリ、どっちが大きいでしょうか?正解は当然キュウリ、ってこういう感覚や驚きが旅の面白さです。

 

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夕食は、60000ドン(300円)で2人分お任せでよろしく!とジェスチャーで伝えたつもり。出てきたのがこれ、牛肉ミンチの香菜巻き、豚そぼろ、野菜の酢の物、スープ。どれも美味しかったです。

 

ハノイ6

ドンダンまでのルートです。
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コメント

  • name より:

    僕もいつの日か中国を走ってみたいです~。
    僕も旅先で様々な過去の出来事に出合います。
    すると千年後の未来をぼーっと考えてしまいます。

  • hide より:

    犬を食べる習慣、話には聞いてましたが、犬の丸焼きの画像を見ると衝撃的です。
    中国も気軽にバイク旅ができるようになればいいですね。

  • ぽこけん より:

    nameさん、今はスペインですか。

    次は南米ですね。スペイン語も大分覚えたのではないでしょうか?

    私たちは今アジアですが、興味深くてなかなか時間がかかります。

    今年は中米へ行きたいと思っているけど、南米までたどり着くのはいつになることやら。

  • ぽこけん より:

    hideさん、またくるくる回して良く焼き色を付けるんですよね。

    以前、中国でも見たことがあります。看板には「狗肉飯店」というのもたくさん見かけました。

    北朝鮮でガイドさんに聞いたところ、犬牧場があって、食べる種類は限られていると聞きました。ガイドさんは赤い犬と呼んでいました。

  • メガラッキー より:

    牛肉ミンチの香菜巻き,実は犬肉かも。。。チョッと怖いです。

  • ぽこけん より:

    メガラッキーさん、たぶん犬肉はこちらでも頻繁に食べるものではないようなので、犬肉ではないと思います。思いたいです。

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