ピウラの町を出発。ペルーに入ってから道路の主役は三輪バイクです。信号待ちで私の前に並んでいるのはトヨタのトゥクトゥクとナイキの幌を付けたバイク。
今日向かうのは、ペルー北部のチクライヨ方面なんですが、200キロ以上町も何にもない砂漠。
この辺りは1年を通してほとんど雨が降らないそうです。
そのチクライヨ周辺は、プレインカ文明(インカ文明以前の文明)が栄えたこと、特に大量の金の装飾品が発掘されたことでで有名だそうです。シパン遺跡とシカン遺跡がありますけど、ややこしいのでここで整理しておきましょう。
シパン遺跡
シパンの意味は王の名前。紀元前後~西暦700年ころに栄える。1987年、エジプトのツタンカーメン以来の大発見と言われるほど大量の金が見つかる。
シカン遺跡
シカンの意味は月の神殿。西暦750年~1350年ころに栄える。1991年、日本人である島田泉さんが団長を務めるシカン遺跡調査団とTBSにより、シパンをもしのぐ金細工が発見される。
インカ帝国
西暦1250年ころ~1533年スペイン人に滅ぼされるまで続く。南のチリ~北のコロンビアまで4000キロに渡る大帝国、首都はクスコ。
簡単に分けるとこんな感じになるようです。旅行の話に戻りますね。
チクライヨのちょい手前の町で昼食。南米の定食はエントラーダ(最初の1品、スープのことがほとんど)とセグンダ(2品目、メインディッシュ)に分けられているけれど、エントラーダでスープかセビーチェどっち?と聞かれたのは初めてでした。ここは、海からも近いので生の魚介類も大丈夫だろうとセビーチェを選びました。これが美味しかった!コロンビアやエクアドルではソースの中に浮いているようなセビーチェだったけど、ここのはシンプルにライムであえて生玉ネギのスライスがのっているだけ、日本人にはこの味が合うなと思いました。セグンダの魚料理も美味しかった!焼き魚も良かったけど、緑色のピラフが何の味だろう、わからないけどたまらん美味さ。ペルー料理はレベルが高いですね。料金はジュースも付いて7ソル(280円)。
フェレニャフェというやたら埃っぽい町に着きました。大都市チクライヨより遺跡巡りの拠点には良いだろうとここに滞在することに決めました。
町の中心にあるオスペダヘ・アルカンヘルはガレージもあるし、ホットシャワーだし、wifiもばっちりで1泊25ソル(1000円)、ペルーでは安い方じゃないかと思います。小さな町なので歩ける範囲で買い物も楽ちん、安い中華料理屋も2軒あるのも気に入りました。
さて、2日間かけてシパン遺跡、シカン遺跡、それぞれの博物館を見学しましたが、ここからは話がややこしくならないように、時系列ではなく遺跡ごとに進んでいきますね。
まずは、シパン遺跡から。
シパン遺跡のピラミッドです。このピラミッドのすぐ横から大量の金細工が発見され世界で大ニュースになったのです。
ピラミッド横のシパン王のお墓です。場所はここで発見されたのですが、中身はもちろん金ではなく、このような形で発見されましたよと再現したイミテーションです。本物は博物館で見ることができます。でも骸骨は本物かな?
遺跡に併設された博物館に展示されていた仮面です。
こちらが、遺跡からは数十キロ離れたランバイエケの町にあるシパン遺跡のメイン博物館。残念ながら内部は写真撮影不可。おびただしい量の金細工が展示してあり、芸術性の高さ、細工の細かさ、美しさに見とれてしまいました。1000年以上前の人々がこれほ凄い物を作っていたかとびっくりしました。
次にシカン遺跡です。
ここが、シカン遺跡のピラミッド、ワカ・ロロ。ピラミッドはここだけではなく広範囲にいくつも点在しています。
ワカ・ロロに近づいたところ、大分崩れています。このピラミッドの近くから大量の金の埋葬品が発掘されました。
遺跡からは数十キロ離れたフィレニャフェの町にシカン遺跡の博物館があり、発掘の様子をビデオで見ることができます。この人が、調査団団長の島田さん。日本でも大分騒がれましたよね。
博物館では、埋葬の様子を再現した模型を見ることができます。シカンの王と思われる人物は、不思議なことに、神輿に乗った状態で、仮面をかぶり逆さになって埋葬されていたそうです。
以上、シパン・シカン両遺跡の見学レポートでした。明日は温泉もあるアンデス高地の町へ移動します。
シパン遺跡までのルート。
7月16日の走行距離248キロ、7月17日の走行距離153キロ、合計46809キロ。