ぽこけん

ぽこ&けんいちによる、海外ツーリング、国内ツーリング、テレマークスキー、温泉のホームページです


09日

北朝鮮旅行 その3 (平壌から板門店へ 2013年9月4日)

image_007_30_46

平壌ナンバー1の高級ホテルである高麗ホテルに宿泊しています。私たちの泊まっている13階の部屋からも街の様子をちょっとだけ見ることができます。これはちょうど朝の8時ころ。平壌市民の出勤風景です。

image_319_33_18

平壌市の中央部とはいえ、たいして車の交通量もないわけですから、道路を歩行者が渡っても危なくはないのですが、市民の皆さんひとり残らず、きちんとルールを守って道路の向こう側へ渡るときは地下道を利用しています。

image_019_33_16

ガイドと一緒に今日は、開城(ケソン)にある板門店の観光へ向かいます。開城は高麗時代には首都であったところで、第2次世界大戦終結時は、アメリカとソビエトによって引かれた38度線より南にあったため韓国側の町でしたが、その後の朝鮮戦争終結時には両国軍の支配下にあった地域に基づいて国境線が現在のように引かれるようになり、開城は北朝鮮の町となったそうです。この絵は板門店に掲げられていました。朝鮮民族の祖国統一を願う意味が込められているということです。

image_419_33_18

軍のガイドです。最初に板門店の経緯や全体像などを朝鮮語で説明してくれました。それを、ガイドが日本語で私たちに通訳してくれます。何度も朝鮮戦争という言葉がでてくるわけですが、その前に必ず「アメリカの引き起こした」という言葉が添えられるのが興味深かったです。中国と北朝鮮側の主張ではそのようになっているようですが、それ以外の世界のほとんどの国、ロシアでさえも、それを否定しているのが現状です。

image_219_33_17

中国人の団体観光客、アメリカ人2名、私たち2名がひとつのグループとなって、軍のガイドと一緒に朝鮮戦争停戦会議場、停戦協定調印場へ向かいます。それぞれ乗ってきた車に乗って移動するのですが、ちょうど軍のガイドさんが私たちの車に便乗してきました。そこで軍のガイドのトークが熱くてちょっと参りました。内容は「私たち朝鮮人は自分たちの国を守るために軍備を強くしなければならない、それをアメリカに邪魔される筋合いは全くないはずだがそれに対してどう思うか?」とか、「韓国とアメリカが合同軍事訓練をし、それに日本も協力している、それに対してどう思うか?」「南の同朋を奴隷にし、私たち朝鮮民族の祖国統一を邪魔するアメリカをどう思うか?」などです。それが、一点の曇りもなさそうな純粋な眼で見つめられながらの質問だから本当に参るんです。北朝鮮の軍を相手に議論する勇気もないので、よくわかんないな~、ごめんなさい、と情けなく答える他ありませんでした。

image_119_33_17

朝鮮戦争の停戦会議場です。国連は停戦の調印式をテントで行おうとしたそうですが、テントだと、証拠がきちんと残らないことを危惧した北朝鮮が5日間でこの建物を建設したそうです。停戦協定の調印は北朝鮮と国連で行われ、韓国は参加しませんでした。韓国が参加しなかった理由はその1週間後後、韓国の戦争記念館を訪れたときに聞きました。当時の韓国の大統領、李承晩は完全なる独立、南北が統一した国家を作るために、さらに北進し戦いを続けるべきだと主張し停戦には反対していたからだそうです。アメリカは米軍を韓国に駐留させて、北朝鮮の南進を防ぐことを条件に交渉を続けて、最終的には韓国側もこの意見に応じることとなったそうです。右側に座っている大きな体の人はアメリカ人観光客です。ちなみに、北朝鮮にはアメリカ人は入国できますが、韓国人の入国は認められていません。

image_519_33_18

北朝鮮側から見た韓国側の「自由の家」です。北朝鮮のあと、中国から大韓航空で韓国へ飛び、一週間後にはあちら側からこちら側を見学する予定です。一体は共同管理区域と言って、調停を遵守するようお互いを牽制しあっているということです。板門店というのは本当は単にこの場所の村の名前だそうですね。真ん中にある建物を横切るように軍事境界線があります。7つある建物のうち、3つの青い建物は国連が建設したもの、グレーの4つは北朝鮮が建設したものだそうです。

image_619_33_19

微動だにしない北朝鮮軍の兵隊。韓国に徴兵制度があることは知っていましたが、意外にも北朝鮮は志願制だそうです。軍隊志願者は多く、人気の職業だそうです。皆、国を守るという誇りをもって任務にあたっているのでしょう。

image_107_30_47

板門店のお土産屋さんで地図を買ってみました。驚いたことに、朝鮮半島全体が一つの国として表示されています。南と北に国境が引かれていません。そして首都が平壌になっています。ソウルは、と見てみると、申し訳程度に小さな星印で示されているに過ぎません。

image_719_33_19

昼食休憩のため、開城市内へ移動しました。今日の昼食は宮廷料理と参鶏湯(サムゲタン)。参鶏湯はエクストラで3000円ということでしたが、北朝鮮でケチってもしかたないし、せっかくなので注文してみました。参鶏湯は朝鮮人参も入っていてとても美味しかったのですが、量が多すぎて食べきれませんでした。北朝鮮は美人が多いんですよね。このレストランのお姉さんもその一人。

image_919_33_20

開城の史跡群は今年、世界文化遺産に登録されました。ガイドによると、朝鮮戦争で古い建物が大分壊れてしまったけれど、開城は戦火を免れ比較的古い建物が残ったのだそうです。この南大門も1000年以上前のものだそうです。古い建物だけを見ると南も北も変わらないなぁと思います。古い時代の絵画には、自由に商売が行われていた賑やかな街並みが描かれていました。

image_1019_33_20

そして、現代の開城の町を見てみると、こんな感じ。

image_1119_33_20

平壌へ戻ります。祖国統一三大憲章記念塔です。朝鮮の民族衣装、チマチョゴリを着た女性2人が向かい合い、朝鮮半島を支えあっている構図となっていました。

image_1519_33_22

宿で少し休憩してから、アリラン祭りを見学するため移動します。これは平壌駅前付近の様子。

image_1219_33_21

大通りを歩く人たち

image_1619_33_22

北朝鮮の国旗を持って歩いている人たちは、99日の独立記念日のパレードの練習に向かうところらしいです。

image_1419_33_21

夕暮れ時の平壌の町を自転車で移動する人たち。後ろに見えるのは主体(チュチェ)思想塔。

image_1719_33_23

金日成広場です。ここでも、独立記念日に向けてイベントの練習が行われていました。

image_1819_33_23

交通安全員の白バイです。

image_1919_33_23

アリラン祭りの前に早めの夕食です。この日のメニューは鍋でした。

image_2119_33_23

夕食後、アリラン祭りの会場であるメーデースタジアムに向かいました。パラシュートを開いたようなユニークな外観の巨大な建物で15万人の観客が入ることができるそうです。

image_2019_33_23

アリラン祭りのチケットは特等席が300ユーロ、1等席が150ユーロ、2等席が100ユーロ、3等席が80ユーロと4種類あります。ガイドに聞くと、アリラン祭りは高い位置から見た方が楽しめるが、3等だと低い席や端の方になるというので、2等席にしました。アリラン祭りの土産屋のお姉さんも美人でした。

image_2219_33_24

いよいよアリラン祭りの始まりです。後ろに見える金日成と金正日は壁に書かれた絵ではありませんよ。大勢の人が色ボードを掲げて巨大な絵を表現しています。絵が文字になったり、模様になったり目まぐるしく変わっていきます。どれくらい練習すればできるようになるのかわかりませんが、それが寸分違わぬタイミングで変わっていきます。

image_2419_33_25

バックボードだけでなくスタジアムの中で踊ったり演じたりする人達のレベルもプロ並みです。が、プロではなく一般市民が労働の後に練習しているということです。出演者は10万人。7月から9月まで週に4日開催されるそうですが、出演する皆さんも大変だなぁと思いました。

image_2319_33_24

これはテコンドーをテーマにしたショーでした。それ以外にも、朝鮮労働党の偉大さをテーマにしたもの、、抗日運動から朝鮮戦争までの北朝鮮の近代史をテーマにしたもの、幸福な子供たちの未来をテーマにしたもの、発展した科学技術をテーマにしたもの、祖国統一をテーマにしたものなどがありました。

image_2519_33_25

最後は、「朝鮮労働党の声は全世界へ鳴り響く、永遠の勝利のアリラン」というテーマで幕を閉じました。テーマはさておき、10万人がスタジアムをいっぱいに使って演じきる迫力に圧倒されましたし、一瞬も目が離せないショーのレベルの高さに感動もし、アッという間に時間が過ぎてしまった感じです。

明日は平壌の市内観光をすることになります。

にほんブログ村 旅行ブログへ