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南アフリカ・レソト・スワジランド (2003年7月16日~8月15日)

南アフリカ・レソト・スワジランド (2003年7月16日~8月15日)

014_58_42114_58_42214_58_43■ケープタウンへ!(ケープタウン/2003年7月19日~8月2日)

ケープタウンに着いたのは日本を出てからほぼ2年後の2003年7月19日。あいにく小雨の中。雨季なので覚悟していたとはいえ、やっぱり雨はイヤだイヤだ。アフリカの旅をはじめて約8ヶ月、うまい具合に乾季にあたっていたので走っているときに雨に降られたのは初めてだった。
ケープタウンではゆっくりしよう、と決めていたので、いつもより宿探しに時間をかけ、キャンプスベイの丘の上にあるユースホステルに決めた。理由は一番安かったから。ユースホステル会員ならドミトリーがなんと40ランド(640円)という、南アフリカでは破格の安さなのだ。街から遠いので車やバイクのツーリストしかこないため、いつもガラガラに空いていて6人部屋のドミトリーがツイン状態なのもラッキーだったし、キッチンも使い放題。これが込んでいるバックパっカーズだとドミトリーは満室、キッチンも順番待ち、リビングにも座る場所がなく、自分のベッドの上にいるしかない、という状況にもなりかねない。
そんなわけで静かなユースホステルでの休養生活がはじまった。私たちの他にはヨハネスブルグから仕事をしにきた人たちもいて、彼らは口を揃えてケープタウンが一番いい、と言っていた。たしかにケープタウンはとてもいいところ。海があって明るい雰囲気だし、シーフロントには大型ショッピングモールもあるし、ヨハネスブルグなどより治安もいい。ワインの産地だから安くておいしいワインもたくさんある。気候もカラッとしていて年間を通して晴天が多い。短い雨季はあるけど日本の梅雨に比べればよっぽどマシ。数日に1回くらいの割合で小雨が降る程度で、1日中続くこともない。冬でも暖かくて1年中バイクにも乗れる。ナミビアで会ったスイス人ライダーはケープタウンが気に入って、旅の途中で半年も沈没していたと言っていた。ここにはお金持ちの別荘や高級アパートメントもたくさんあり、参考に値段を聞いてみたところ、1ベッドルームのアパートが1週間で3000ランド(48000円)との答え。ごめんなさい、およびじゃないようでした。

314_58_43■日本食のゆうべ(ケープタウン/2003年7月29日)

ケープタウン滞在1週間が過ぎた頃、ツーリングマップルにUPしている私たちのサイトのBBSを見てみたら、なんと知り合いのジャーナリスト、岩戸さんから書き込み。現在仕事で南アフリカにいて、28日にはケープタウンに来るので、うまく会えたら寿司でもおごってくれる、という内容。日付を見たら、ほんの昨日。自分たちでも滅多に見ないBBSだけど、これはグッドタイミング! ぜひおごってもらわねばなるまい。
それからというもの、私たち2人の合言葉は「寿司!」。ワクワクして待つこと数日、29日の夜に無事、岩戸さんに会うことができ、ケープタウン・シーポイントにある日本食レストラン「富士山」で寿司、天ぷら、カツ丼など日本食をたらふくごちそうになった。持つべきものは気前のいいお友達。ごちそうさまでした。
岩戸さんは雑誌を中心に活躍するジャーナリスト。13年前、サハラを旅したときに会った古い知り合いで、パリダカールラリーの取材で来ていた岩戸さんに、あのときも日本食をいろいろもらった気がする。今回は女性誌の仕事で、南アフリカの豪華ブルートレインの取材をメインにあちこち回ってきたという。取材陣は他にカメラマンの瀬戸さんと、ケープタウンに住むガイド役のコウジさんという面々。瀬戸さんは木村伊兵衛賞も取った著名な写真家で、ベトナム系タイ人と日本人のハーフ。瀬戸さんのお父さんが敗戦後、すぐに日本に戻らずタイでベトナム系女性と結婚、その後日本に戻って写真館をはじめたものの、息子である瀬戸さんは自分のお母さんのルーツを知るためにベトナムへ渡ってその風景を写真に収め、写真家として認められた。さらに自分の生い立ちを書いた小説「トーイと正人」がラジオドラマ化されるなど、多才な人。ケープタウンに2年住んでいるコウジさんは、英語の勉強のためケープタウンにやってきたものの、そのまま住みつき旅行会社に勤務中という経歴。それぞれに個性的な人が集まって楽しい夜を過ごした。岩戸さ~ん、今度はエチオピアかエジプトあたりに取材に来てください!

414_58_43514_58_44■最南端へ!(喜望峰・アグラス岬/2003年8月2~3日)

2週間滞在したケープタウンに別れを告げた私たちはケープ半島の先端、喜望峰を目指した。喜望峰といえばバスコ・ダ・ガマ、だったかな、たしか。気分のいいワインディングロードを走って突端の岬に立った。日本から73000km、約2年かかってようやくアフリカ大陸のはじっこまでやってきたのだ、と思うとやっぱり感慨深いものがある。
ここにはツーリストだけでなくバブーン(猿)もいっぱいいて、食べ物ほしさに人間を襲うので注意、という看板が立っている。実際、私も襲われかけた。スーパーの袋に入れて持っていたカメラのレンズを食べ物と勘違いしたらしく、私の目を見てカッ!と怒りの顔(?)になったと思ったら、いきなり飛びかかってきたのだ。間一髪でかわしたけれど、あれは恐ろしかった。高そうなバックでなくスーパーの袋に貴重品を持ち歩く旅行者もいるけれど、強盗の目はごまかせてもバブーンには逆効果なので要注意。
岬をあとに半島の東、ボルダ―ズビーチへ向かう。ここにはペンギンがいるのだ。で、行ってみると、いるいる。ペンギンはビーチ沿いの叢にたくさん巣を作っていてみんなでギャーギャー騒いだり卵を暖めたりしていた。そうだ、ペンギンはアザラシと違って鳥だったんだっけ。ここのペンギンたちはあまり人間を恐れないどころか、海沿いの人家の庭にも巣を作っていて、ペタペタと道路を歩いていたりする。犬や猫やバブーンに襲われないのだろうか?
ケープ半島から海沿いにさらに東へ向かい、本当の最南端、アグラス岬も踏破。こっちは喜望峰とは正反対に閑散としていてかわいそうなくらいだった。正真正銘の最南端だというのに。ちなみにここから西が大西洋、東がインド洋になる。
614_58_44714_58_44814_58_44■ダチョウに乗ったのだ(オーツホーン/2003年8月5日)

南アフリカはダチョウビジネスが盛ん。ダチョウの肉はスーパーマーケットで普通に売っているし、硬くて大きな卵はペイントされてお土産物になっている。皮もハンドバックやらベルトやらに加工され、羽も飾り物などに利用される。そんなわけで、ダチョウ牧場がところどころあり、特にケープタウンの東400kmにあるオーツホーン周辺にはダチョウ牧場が集まっている。中には観光客向けに開放しているところもあって、ダチョウに乗ることもできるという。お、それはおもしろそう。ある牧場で聞いてみると、1時間ほどで32ランド(512円)と意外に安いので早速申し込む。1時間もダチョウの上に乗ってまさか馬のようにおとなしく人間を乗せてくれるとは思えないし、どうするのだろう?
15人くらい集まったところでダチョウツアーはスタートしたが、最初に延々とダチョウの説明をされる。そんなのはどうだっていい。私はダチョウに乗りにきたの! イライラしながら聞く。その後ダチョウの卵や飼育風景を見てようやくダチョウに乗るコーナーに到着した。ところがダチョウに乗るのは子供が優先。運悪く子供連れファミリーが多くて、スタッフは子供ばかり乗せて大人は乗せない気でいる。あやうく乗れないところだったが、それじゃ何のためにお金を払ったのかわからなくなる。フランス人のお母さんが率先して「私も乗る!」と言ってくれたので私もあとに続けたけど、ほとんどの大人は乗れずじまい。なんか詐欺っぽいぞ。
で、ダチョウに乗るのはやっぱり馬のようなわけにはいかなかった。まずスタッフが3人かかりでダチョウをおさえつけ、客が乗ったらダチョウを離す。ダチョウはパニクッているからあわてて走り出し、その後を2人のスタッフが客をサポートしながらダチョウとともに走る、というもの。客は当然すぐにバランスを崩して落馬、じゃなくて落鳥。その間長くて3秒くらい。すごく危ないと思った。

914_58_451014_58_451114_58_45■黒人が元気な国(レソト/8月8~10日)

レソトは南アフリカの中に島のように存在する小国。標高2000m前後の高原にあり、山がちな地形で、ポニートレッキングがここの観光の目玉。ライダーにとってはダートを走りに行くメッカでもあるようだ。どうせ南アフリカとあまり変わらないだろう、と思って行ったのだけど、これがちゃんと違っていたのでおもしろかった。どこが違うのかというと、まず南アフリカではどんな田舎町にも白人が住んでいたのに、レソトではまったく見かけなかったこと。また、南アフリカ資本のスーパーマーケットがあって売っているものもだいたい同じなのに、雰囲気が違う。客も従業員も全員黒人で、ガンガンに音楽が鳴り響く中、みんな音楽に合わせて踊っているのにはちょっと驚いた。中にはおたけびを上げる人もいて、店内はまるでディスコ(死語?)のような賑やかさ。なんだかみんな元気なのだ。さらに、首都マセルにもちゃんと雑然とした市場があり、久しぶりにアフリカ的な屋台の食堂で安い定食を食べられたのもうれしかった。レソトの人たちはソト族という部族で、みんな毛布のような布をまとって歩いている。バソト・ハットという変わった帽子もここのオリジナル。だてに南アフリカに囲まれながら独立を保っているわけではないのだ。がんばれ! レソト(何を?)!

 

1214_58_451314_58_461414_58_461814_58_481514_58_46■アパルトヘイトを考える(プレトリア・ヨハネスブルグ/2003年8月11日~15日)

ケープタウンから約10日かけて、南アフリカの首都、プレトリアに到着した。ここはヨハネスブルグに代わって首都になった街。というのは、アパルトヘイト廃止以降、地方や他国からたくさんの人が仕事を求めてヨハネスブルグにやってきたため、ダウンタウンはスラム化して治安が悪化してしまった。白人たちはみんな郊外へ脱げだし、いまやダウンタウンは黒人だけの街になっている。昼間でも銃を持った強盗が出没、世界で一番危険な街とも言われている。そのため各国大使館や国際機関もプレトリアに移転している。プレトリアはヨハネスブルグから60km、国際空港へも遠くないとなれば、旅行者としてもヨハネスブルグに寄る必要はない。いくつかある見どころへはプレトリアからツアーで行くことができるし、今後もますますビジネス客やツーリストのヨハネスブルグ離れが顕著になりそう。
みんながみんな、口を揃えて「ヨハネスブルグのダウンタウンは危ない」というので、バイクなんかで行ったら襲われてバイクごと奪われてしまうんじゃないかと心配になった我々は、どんなに危ないのかを自分の目で確かめるために1人350ランド(5600円)という高いお金を払ってツアーに参加することにした。
黒人居住区ソウェトとヨハネスブルグ市内観光、アパルトヘイトミュージアムなどを回る1日ツアーで、まずヨハネスブルグ市内を見て回った。普通に商店は開いているし、人も歩いているし、特に物騒な雰囲気は感じられない。ガイドに連れられてグループで歩くだけでは本当に危ないのかどうかはわからじまい。
次に行ったソウェトはヨハネスブルグの南西にある黒人居住区(タウンシップ)で、「SOUTH WEST TOWN SHIP」の略。アパルトヘイト時代、黒人たちは強制的に市内から移住させられたのだけど、
ヨハネスブルグ近郊にあるいくつかあるタウンシップのうちでも最大のものがソウェト。ひとつの都市といってもいいくらい広大なエリアに及んでいる。その中にはマッチ箱のような家が並ぶ一角もあれば、豪邸が並ぶエリアもある。ソウェト=貧しいスラムという図式はもはや当てはまらない。
アパルトヘイトミュージアムは、黒人開放運動の歴史に関する展示が充実していて、写真や映像
でわかりやすく理解できるようになっている。見学時間は2時間あったが、それでも足りないくらいだった。
アパルトヘイト廃止になってから10年足らず。黒人の成功者もいれば落ちぶれてしまった白人もいる。アフリカきっての先進国なのに、いや、先進国だからこそ、他のアフリカの国にはない問題を抱えている感じがする。なんだか難しい。

1614_58_471714_58_47■パーツ待ちで停滞生活(プレトリア/9月14日~10月11日)
マダガスカルから戻ると、なんだか長旅を終えて日本に帰ったときと同じような感覚を味わった。立派な高速道路を走るのはピカピカの車(マダガスカルと比べて)ばかり。日曜日だったせいもあって街中には人があまり歩いていない。露店なんてまったくないし整然としすぎている。なんだかつまらない。旅をしている、という気分になれない。
そんなわけで、さっさと南アフリカを出るべくバイクの旅を再開しようとセローのオイル交換をしていたら、なんと小さな金属片が出てきた。何だろう? カメルーンでも同じように金属片が出てきたことがあったが、やっぱりエンジン内部の何かが破損しているに違いない。幸い宿のすぐそばにヤマハのディーラーがあったので、そこでエンジンを開けて見てもらうと、ファーストとセカンドのギアスプロケットが欠けていた。なんで? 85000km走行にしては、そのほかのエンジンの状態はとてもいい、とメカニックに言われたくらい、私は丁寧に乗っていたはずなのに。よく考えると、このセローは広報車として使われていたものを譲り受けたもの。新車の頃にトレッキング走行などで酷使された可能性はある。
幸い、南アフリカで売っているAG200やTW200と共通パーツなので、取り寄せてもらうことにした。ジェベルのほうもオイルもれの修理を依頼したら、カムチェーンも交換したほうがいい、ということでこっちもパーツ待ち。仕方がない、と覚悟を決めたものの、予想を大きく上回って結局パーツがすべて届くのに2週間、修理完了まで3週間もかかってしまったのだった。

 

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