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ロシア シベリア 2001年7月16日~8月23日

ロシア シベリア 2001年7月16日~8月23日

■アントニーナ・ネジダノワ号でロシアへ行く

7月14日、新潟港に着いてみると、ロシア人らしい外国人がたくさんウロウロしているし、船にはすでに中古車がびっしり積みこまれている。日本のフェリーのような船を予想していたが、なんだかどうも様子が違う。日本側のスタッフに聞いてみると、ウラジオストックからの友好団のチャーター船で、 私たち2人以外は、乗客も船のスタッフもすべてロシア人らしい。船の中には中古車だけじゃなくタイヤなどのパーツ、中古の家電製品、自転車、スクーターもいっぱい。さらにロシアの人はみんなすごい荷物で乗りこんでくる。見るとトイレットペーパー、紙おむつ、ビール(スーパードライ)、キャンピングテーブル、BBQセットなどなど。100円ショップ製品も人気のようだ。友好団というより買い物ツアーみたい。そんなにモノがないのかなあ、と心配になり、あわてて税関のトイレからペーパーを巻きとってきた。  クレーンでバイクを積みこまれ、船は夕方7時過ぎに出航した。ああ、日本が遠くなっていく。  船の中では片言の日本語ができるスタッフのサーシャさんだけが頼りという心細い状況だったけれど、部屋はトイレ・シャワー付きの2人部屋で、ロシア料理もおいしいし、それなりに快適ではあった。  3日目の朝、目を覚ますとウラジオストック港に到着していた。とうとう着いてしまった。ロシアだ。これからはサーシャさんもいないし、私たち2人だけで大丈夫なんだろうか? 期待感よりも不安でいっぱい。

■ウラジオストックで宿探しに奔走

人間は午前10時に入国したのに、船からバイクを下ろすのにたっぷり待たされ、ロシア語に苦労しながらバイクの書類を作り終えたのは午後6時。今度は宿探しだ。ロシアにはツーリストインフォメーションなるものはないし、「HOTEL」の表示もまったくない(ロシア語でホテルのことをガスチニーツァという)ので、宿を探しだすのが大変。数軒あたってみたが、すべて満室。「ニエット」(NO!)のひとことで断わられ続けてどうしようか、と路上にバイクを止めていると、ロシア人ライダーがやってきた。事情を話すと「まかせておけ!」とばかりに先導してくれたが、やっぱりダメ。  本当にないのか疑わしいけれど、ウラジオストックにはビーチもあり、中国人のツアー客のほか、ロシア人観光客もたくさん遊びにきている。夏はたしかに混みあうようだ。ライダーは仕事へ行く途中だったので、近くにいた少年にガイド役はバトンタッチされた。今度は少年をバイクに乗せ案内してもらうが、やっぱり「ニエット」。3つ目のホテルでタクシーのおじさんも私たちのホテル探しに参加することになった。  結局すべてのホテルを回っても満室で、最後はおじさんの知りあいのツテで普通の家庭に1泊240ルーブル(1000円弱)で泊めてもらえることになって、ひと安心。すでに夜の10時。とはいえ、夏のウラジオストックはまだ明るい。サマータイムもあって、日本より2時間進んでいるのだ。  それにしても、ロシアの人ってメチャクチャ親切。ロシアは危険だ、と聞いてきたけど、街もそんなアブナイ雰囲気ではなかったし、中国人が多いので東洋人が注目されることもない。ロシアって意外といい国かもしれないなあ、と思いつつ疲れ果てて眠った。

■イタリア人ライダー、グランデ兄弟

ウラジオストックのインターネットカフェの前にXLR600が止まっていた。両サイドにBOXをつけているところを見ると、ツーリストに違いない。果たしてインターネットカフェにそれらしき2人組を発見した。彼らはイタリア人のアンドレア&クラウディオ・デル・グランデ兄弟。タンデムでここまでやってきて、これからアラスカまで飛行機で行き、北米から南米まで下ってアルゼンチンでお金を稼げたらアフリカまで行きたい、という。ロシアに入って3ケ月、途中でスイス人のチャリンコツーリストに会っただけで、ライダーは私たちが初めてだとか。そんなにツーリストが少ないのだろうか。彼らからいろいろロシア情報を仕入れる。ガソリンも道路も問題ない、というのでひと安心。  毎日ロシア語で苦労しているだけに、お互い英語で意思疎通ができるのはとってもありがたい。ロシアでは本当に英語が通じないのだ。また旅するライダー同志は仲間意識も強く感じる。  ウラジオストックに3日滞在したあと、グランデ兄弟の見送りを受けて、7月19日、いよいよ旅がスタートした。

■ハバロフスクの出会い

ウラジオストックを出ると、ひたすら一本道。幹線道路だけに交通量は意外と多いものの、走りやすい。ガソリンスタンドも点在しているし、食堂もある。標識がロシア語だけなのでちょっと困るけれど、慣れれば読めるようになるし、警察の検問も書類やビザがあれば問題なし。賄賂を請求されることもなく、いたってマトモ。ロシアって、けっこういい国だ。  ウラジオストックから北へ800kmほど走ってハバロフスクへ到着。ウラジオストックに比べると、ちょっとお洒落な印象の町。やっぱり日本車がいっぱい走っている。なんとか無事にホテルを確保し、バイクを近くの駐車場へ預けに行くが、管理人にダメだと言われる。困っていると、タイミングよく駐車場のオーナーがやってきた。なんと少し日本語を話せるのでびっくり。イゴリさんという30代くらいの人で、日本に3年住んでロシア料理店のコックをしていたらしい。現在は中古車販売の仕事をして羽振りがよさそう。心よくバイクを預かってくれたうえ、料金もとらず、さらに夕食に招待してくれることになった。  最初はどこへ連れていかれるんだろう、と心配になったが、イゴリさん一家と一緒にボーバさんというアエロフロートのパイロットをしている、という友人宅へ。ビールやウオッカで乾杯し、楽しい夜を過ごした。片言の英語、日本語、ロシア語の会話だけれど、ロシアの人とは言葉ができなくても気持ちが通じるように思う。やっぱり、ロシアはいい。

■ブラガベーションスクのブルジョア階級

ハバロフスクを出てアムール川沿いに東へ進む。両側に白樺林が続き、シベリアらしい風景になってくる。しばらくダートが続き、小さな町をいくつも過ぎる。街中の住宅は殺風景な団地風の建物が多いけれど、田舎町では木造で窓の飾りも素晴らしくかわいらしい家が並んでいる。道端では農作物を並べていたり、ピロシキ売りなどもいるし、食料品を売るマガジン(商店)もあるので、水や食べ物の心配はない。  久しぶりに大きな町に着く。中国国境の町、ブラガベーションスクだ。アムール川の対岸はもう、中国。川辺にあった3つ星ホテルに泊まることにする。600ルーブル(3000円)はちょっと高いけど、ホテルの「ニエット」攻撃に辟易していた私たちはにこやかに「ダー(はい)」と迎えてくれただけで大感激。ここも中国人観光客が多く、夜はカジノが大賑わいだった。  翌日、町を出ようとしたところで、車に呼びとめられる。私たちが日本人でこれからアフリカまで走るんだ、と話をすると、なぜかうれしそうに電話で誰かを呼びだしている。そうしているうちに、1台の車がやってきた。  彼はマックスというこの町の青年実業家で、窓や戸を販売する会社の社長。ヤマハTDM850のオーナーでもある。今年初めにわざわざモスクワまで行って新車で買ってきたそうだ。すぐマックスの家に呼ばれ、昼食をごちそうになった。家の中には3ツ星ホテルにもなかったエアコン完備でインテリアも豪華。お手伝いさんまでいた。1ケ月前にもオランダ人カップルとオーストリア人ライダーをお世話したと言って写真を見せてくれた。この町には日本製バイクのオーナーは他にはいないらしく、他国のライダーと話をするのがマックスの楽しみらしい。  さらに、マックスの友人、ユラさんの郊外にある別荘に泊めてもらうことになった。何だかよくわからない展開だけど、私たちはかなり歓迎されている感じ。その夜はマックス夫妻をはじめ、いろんな人がやってきて、賑やかな宴となった。  それにしても、マックスといい、ユラさんといい、かなりのお金持ちの様子。ギリシャのキプロス島に別荘があったり、モスクワにもオフィスを構えていたり、海外旅行を毎年のようにしていたり。ソ連崩壊後に始めたビジネスで成功したロシアのブルジョワ階級は、一般のロシア人とかなり収入格差があるようだ。

■私たちのシベリア鉄道

ブラガベーションスクから東は、一部道路がない区間があり、その間は鉄道にバイクを乗せて運ぶことになる。その手続きをどうしようか、と思って心配していたが、マックスが200kmほど先のシマノフスクという町に住んでいる、ジーマを紹介してくれた。ジーマもこの町で単身赴任中。アレックスという友人も一緒に住んでいた。  ジーマが駅でいろいろ手続きをしてくれたので、私たちは苦労することなく2日後の列車に乗れることになった。なんだかトントン調子で旅が進んで行く。ロシアの人にはお世話になりっぱなしだ。  ところで、人間は客車に乗れるもの、と思っていたけれど、列車には客車などはなく、車やバイクと一緒に貨物車の中。風は吹きさらしだし、雨が降ったらびしょぬれになりそう。トイレもないしなんだか囚人になった気分。同じシベリア鉄道でも快適な客車のある列車とえらい違いだ。同じ車両には日本の中古車をウラジオストックで買って、イルクーツクやエカテリンブルグまで運ぶという商売の人達も一緒だった。日本車ビジネスはいいお金になるようだ。彼らにウオッカや食事を振舞ってもらったりして、1500km、35時間にも及ぶ列車の旅もあまりたいくつせずに済んだ。

■66歳の鉄人ツーリスト

鉄道の囚人暮らしから開放され、またシベリアの大地を走り出す。見渡す限りの平原にタイガの森が続く。放牧された牛や馬が道路をふさいでも、車のほうが遠慮して通り過ぎるのを待っている。まったくロシアはのんびりしている。  そんな風景の中を何日か走り、ウラン・ウデという町まで150km、という地点で、向こうから1台の自転車がやってきた。フランス人のおじさんで、なんと66歳。去年はフランスからウラン・ウデまで走ったので、今年はパキスタンから始めてタクラマカン砂漠を40日かけて越え、モンゴルを経由してロシアへ入り、ウラン・ウデからウラジオストックを目指している。どこにでも鉄人はいるものだ。  雨の中、ウラン・ウデに到着。ここはブリヤート共和国の首都で、日本人そっくりのブリヤート人が多く住んでいる。私たちもバイクに乗っていなければ日本人には思われないかもしれない。ウラン・ウデはモンゴルへの分岐点でもあってモンゴル人もいるし、ロシアのラマ教総本山も近くにある。ロシアにこんなに多くの東洋系の人々が住んでいるなんて、来るまでは知らなかった。まだまだ世界は広い。

 

 

 

 

■イルクーツク

バイカル湖畔の町で2泊したあと、イルクーツクへ向かった。シベリアのパリ、と呼ばれるイルクーツク。パリ、というのは無理があるように思うが、今までのシベリアの町に比べれば、はるかに都会で、ルイノク(自由市場)もきれいだし、デパートの品揃えも少しは豊富だ。  ここでは山本大介さんという、日本人ライダーに出会った。カナダで買ったDR650で北南米を走り、ヨーロッパへ渡ってからロシア横断して日本へ戻る途中。2日前にポーランド人ライダー2人組に出会ったが、日本人とは初めて。自ら「カソリック」を自称する通り、荷物は最小限だし、ロシアで1日900km近くも走ることもあるというから、ペースはかなり早い。私たちはウラジオストックからここまで3000km余りを3週間もかけている。まあ、旅は人それぞれ。私たちは私たちのペースでやっていこう。  ともかくロシアではライダーに限らず、ツーリストとはほとんど出会わないし、ともかく日本語で思う存分話ができるのがうれしい。もうすぐ旅が終わる山本さんと、これから始まる私たち。同じロシアを旅しても、印象は違うかもしれないが、お互いの無事を祈りつつイルクーツクをあとにした。

 

■ケメロボのセルゲイさん  8/18~19  イルクーツクを過ぎると、少しダート部分はあるものの、道路はだんだんよくなるし、GSやカフェ(食堂)も増えてくる。シベリアももう終わりに近いのだ。  ノボシビルスクの手前にあるケメロボという町で道に迷っていると車の人に声を掛けられる。バイクが好きで、モトクロスをやっているというセルゲイさん。外車を修理・販売する仕事をしている。カワサキのモトクロッサーでレースに出て先月肋骨を折ってしまったそうだ。ぜひお茶でも、と誘われて家に泊めてもらうことになった。イルクーツク以来のシャワーがうれしい。その夜はお母さんがおいしいロシア料理を振舞ってくれた。ボルシチ、キノコ料理、サラダ、などなど。野菜は裏の畑で取れた無農薬野菜。ロシアでは自分の庭で野菜を作っている人が多い。団地住まいの人も郊外に畑を持っていて、週末は畑の中の小屋(ダーチャ)で過ごしたりするらしい。  翌日、郊外のオートルイノク(自動車関連の市場)に連れて行ってもらった。こまごまとした車のパーツやらチェーンなどもある。ロシアでは車や機械類はある程度自分で修理するのがあたりまえなので、 オートルイノクはどこの町でもあり、賑わっている。セルゲイさんもここでパーツを見つけて使うようだ。  野菜といい、車の修理といい、ロシアの人達は自分たちである程度やってしまう。何でもお金で買える日本と違って、モノがない時代を過ごしてきたロシア人だけに、自給自足精神が根付いているのだ。

 

■大都会に圧倒される

8/20  ノボシビルスクはロシアのほぼ中間にある大きな町。今まで見たどの町よりも近代的で、マクドナルドのような西側スタイルのファーストフード店や高級ブランドショップが並ぶ。華やいだ雰囲気を感じたのは、街中に広告・看板が多いからだ、と気が付く。町を歩く人々も洗練されている気がする。シベリアの田舎を旅してきた我々には、まぶしい大都会だ。交通量も多いし道もわかりにくい。  最初のホテルで断わられたこともあり、別に泊まる用事もないので、インターネットカフェに寄っただけで素通りする。そして、今日もやっぱりキャンプとなった。ああ、たまには町に泊まってシティライフも楽しみたいなあ。  ノボシビルスクから西はオムスク、エカテリンブルグ、モスクワなど大きな町が続き、道も格段によくなるそうだが、私たちはここから南へ、カザフスタンへ向かう。どこにでもあった白樺林はもう見当たらず、木が少なくなり、だんだん荒涼とした風景になる。もうシベリアではないのだ、と思うとなんだかさみしい。

 

■ルブソフスクで聞いた「恋のバカンス」

8/22  国境の町、ルブソフスクに夕方着き、1軒しかないホテルに泊まろうとすると、受付のおばさんが何やら渋い顔。どうも外国人を泊めたくない様子。外国人登録※のスタンプがないのが気に入らないようだ。「ニエット(No!)攻撃」に慣れっこになっていた私たちは、仕方なくキャンプしようとしたが、ホテルのカフェで働くおばさんがかけあってくれて、「警察へいって証明してもらえば大丈夫だから」と場所を教えてくれる。それにしても、何だってロシアは面倒なんだろう。ポリスに行くと、私たちのビザやパスポートを見て問題がないと判断し、わざわざホテルへ電話をしてくれた上、バイクの駐車場(ホテルには駐車場がない)まで先導してくれてから、パトカーでホテルまで送り届けてくれた。ロシアのポリスはなんて親切なんだろう。  ホテルに落ち着くと、さっきのおばさんが喜んでくれた。ホテルのフロントのおばさんは総じて冷たい態度だけど、中にはこんな人もいる。「日本の歌を知ってる」とオペラ歌手なみの声量で歌ってくれたのは、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」だった。  明日はいよいよカザフスタン。ロシアともお別れだ。

※ロシアでは入国後3日以内に外国人登録をし、さらに泊まった町でもいちいち外国人登録をしなければならないらしい。そこそこのホテルに泊まれば自動的に登録されるが、キャンプや民家だと自分でする必要がある。とはいえ、実際は中央アジアほど厳しくないようで、私たちも別に問題はなかった。

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