ぽこけん

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マリ 2003年3月7日~3月25日

マリ 2003年3月7日~3月25日

■バマコは大きな田舎町(バマコ/3月8~15日)

ギニア国境からホコリだらけのダートが終わり舗装路に出たと思ったら、もうバマコの町だった。首都にしては何もなく、ごちゃごちゃした小さな露店、脇道は土の路面でゴミが散乱している。ビニールゴミが多いのは、ジュースや水を小さなビニールに入れて売っていて、みんなそれを気にせずそのへんに捨てているからだ。果物の皮やパンクズならヤギやニワトリが食べてくれるけれど、ビニールはいつまでもそのまま残るのに、誰も片付けない。  道路の両側はドブになっていて、何年か分のそんなゴミが堆積しているうえ、人々がトイレとしても使っているためか、ひどい異臭がする。やたらと蚊も多いし、きれい好きな人には耐えられないかもしれない。  街中のミッション・レバニーズに落ち着いた。ここもかなり汚い宿なのに、難民キャンプのようなドミトリー部屋で1人2500CFA(500円)、コンクリート造りの暑くて監獄のようなダブルベッドの部屋が8000CFA(1600円)もする。それでも街中にありながら広い庭があってバイクを安全に止められるし、バーもあってビールも飲めるのがありがたい。電気は1日中使えるし、水道から水も充分に出る。西アフリカではそれだけでもすごいことなのだ。ギニアを旅したあとなので余計にそう思えてしまう。

 

■暑い! 暑い!(バマコ/3月8日~15日)

ミッション・レバニーズのドミトリーは13のベッドがあり、15人くらいは泊まれる。私たちが着いた日は他に1人だけだったのが、そのうちスペイン人のグループやカナダ人などが続々とやってきて、本当に難民キャンプ状態になった。スペイン人グループは犬まで連れてきていて、一緒に部屋で寝ている。 彼らは車で来ていたが、ここで車を売って戻るそうだ。車がなくなったら犬はどうするのかと思ったが、犬も一緒に飛行機で帰れるから問題ない、とのこと。  さらに3日目、XLR80ccで旅する直子ちゃんとりゅうさんがやってきた。彼らは1週間以上も前にバマコに到着し、そろそろ出発しようと思っていたところに、私たちから到着のメールがあったので、郊外のキャンプ場からこっちに移って来たとのこと。私たちもゆっくりペースだけど、彼らもかなりゆっくり旅をしている。結局、彼らは私たちに付きあってさらに1週間も滞在することになった。  それにしても、毎日暑い。このあたりはサハラ砂漠の南に位置し、乾燥したサヘル気候で、6~9月に雨が集中して降り、それ以外の時期はまったく降らない。3月の今は乾季の終わりなので、暑さは最高調。 とにかく昼間は40℃以上にもなる猛暑のためとても出歩けず、ドミトリーのベッドでぐったり過ごすしかない。暑さが人を怠け者にするようだ。マリの人たちが、昼間マンゴーの木の下で昼寝したりしているのも、もっともなことなのかもしれない。

 

■モスクと月曜市のジェンネ(ジェンネ/3月17~19日)

バマコに1週間滞在したあと、直子ちゃん&隆さんと一緒にジェンネに向かって出発した。ジェンネは土を固めたスーダン様式の巨大なモスクがあり、モスク前で行われる月曜市が見もの。私たちはその月曜日のお昼頃に町に到着した。  観光名物になっているとはいえ、ジェンネ周辺に住む人々の交流の場としての市なので、売っているものも生活必需品や食品ばかり。買い手もほとんどローカルな人々で、ツーリストはひやかし半分にのぞいて写真を撮っていくだけ。それも月曜日が終わるといなくなってしまう。  そのせいか、有名な観光地のわりに宿は少ない。私たちのホテルには水道はなく、女の子たちが近くの井戸から水を汲んできている。シャワーもバケツの水を使う。安いだけに部屋にはファンもなく、暑くて中ではとても寝られないので結局屋上のテラスに寝ることにした。屋上は昼間は暑いけど、夜は風が通り抜けて涼しいのだ。  最初から部屋ではなくテラスに寝る人もいて、そのほうが多少宿代が安くなる。どうせ部屋で寝られないのならそうすればよかった。そのテラスの住人に1人旅の大阪の女子大生がいた。バマコでも一人旅の日本人女性に会ったし、日本の女の子も西アフリカをたくましく旅している。彼女は建築関係の学生で、学内の懸賞論文にパスして、大学から40万円の資金を出してもらったそうだ。日本の大学もなかなか粋なことをするもんだ。  夜はジェンネの広場にある屋台で食事をした。屋台の回りには、お腹を減らした少年たちがたくさん待ち構えていてびっくり。お客が残した食べ物をもらうためだ。少しでも皿に残っていると、それを奪い合うように食べている。本当にそんなに飢えているんだろうか? 大きめの空き缶やプラスティックのバケツを持って残飯を集めている子もいる。セネガル、ギニアではまったく見かけなかったし、首都バマコにもいなかった。  こうした腹ペコ少年たちは、ジェンネだけでなく、このあと西アフリカ各地で見かけるようになるが、決まって男の子ばかり。食べ盛りの彼らは家で食べたりない分を、こうして補っているのだろうか。

■ドゴンのガイド攻撃に対抗したのだ(バンディアガラ/3月19~20日)

ジェンネをあとに、いよいよマリのハイライト、ドゴンへ。ドゴンはブルキナファソ国境に近いバンディアガラの断崖周辺に点在する小さな村村で、伝統的な宗教体系、さまざまな仮面の儀式、独自の神話世界を持つことで知られている。それらの村を訪れるには徒歩でしか行くことができず、ガイドブックには「ドゴンを旅するにはガイドが必要」と書かれている。そのため、ほとんどの旅行者がガイドを雇うのだけど、実際はガイドなしでも行くことはできる。それに、私たちは自由きままに村を見て回りたかったし、ちょっと覗く程度でよかったから、ガイドを雇う気はまったくなかった。だいたい、トレッキングなんて気分にはなれない。何しろ、暑いのだ。40℃を軽く越える炎天下を歩くなんてたまらない。  それなのに、シーズンオフで仕事が少ないせいもあって、ガイド雇え攻撃はすさまじかった。首都バマコから始まり、ニジェール川観光の町、モプティでひっかかる人も多いが、バイクという自分のトランスポートを持つ私たちにとっての最初の関所はガイド協会のあるバンディアガラ。ここはドゴン南部の拠点にもなっている。  まるで情報もないので、「オーベルジュ・カンサイ」に泊まることにした。ここはバンディアガラにある安宿で、ガイド連中がたむろしていて、カモが来るのを手ぐすね引いて待っているのだった。  私たちがガイドを雇わずに行く、というと村への入村料金が1日4人で5000CFA(1000円)かかる、という。自由に行けるのなら払おう、と思っていたら、今度は「何があっても責任は自分たちで取る」という書類をポリスに行って書け、と言ってきた。  こうなったら、とことんやってやろう、とその気でいたら、今度は書類は書かなくてもいい、と七転八転し、威かし攻撃に替わった。  「ドゴンには英語はおろかフランス語さえ話せる人はいない」(ウソだった)。「村には村人以外入れないエリアがあって、知らずに入ってしまったら大変。この間も外国人が大変な目にあった」など、あの手この手を使ってくる。ポリスもグルになって、どうにかして私たちにガイドを雇わせようとやっきになっているのだった。  ガイドのことでもめていると、バマコで会ったカナダ人のピーターがやってきた。彼によると、今日から5日間の日程で他のカナダ人グループと一緒にトレッキングに出かけたけれど、丘の上にある村へ寄らなかったり、逆に行きたくもない土産物屋に連れて行かれたりして、ツーリスティックでうんざりしたので、彼だけ今日で終わりにして戻ってきたとのこと。それを聞いて、ますますガイドを雇う気が失せた。  ガイド業が大きな収入源になっているのはわかるけれど、数日間も一緒に食事も寝泊まりも、すべての行動を共にしなければならないのがうざったい。私たちは自分たちのペースで、もっと自由に歩いてみたいし、村の人たちともハイドを介さないで交流したい。それがまったく無理、だなんてことはないはずだ。それにガイドに払うお金が果たしてドゴンの村村に還元されているのか、それも疑問だし。ガイドに払うよりは直接村へお金を払ったほうがいいのではないか。いろいろ考えさせられるガイドシステムなのだが、ほとんどのツーリストは雇っているのが現状でもある。

■さらなるガイド攻撃(ドゴン/3月20日)

頑張ってガイドを振り切って晴れて自由の身になった私たちは、4台でジギボンボの村へ向った。ジギボンボはドゴン南部の村の中では大きいほうで、トレッキングのスタート・終着地点になっている。ここまで車かバイクで連れてきてもらい、歩き始めるのが一般的なコースなので、私たちもまずここに泊まることにしたのだけど、ここでもやっぱりガイドがいて、フリーでやってきた私たちをカモ、とばかりにくどくのだった。もう、いいかげんにしてくれ~!  私たちにまったくその気がないとわかると、今度は手法を替え、「村で何か問題が起きたときのために、許可証を書いてあげよう」などと言ってくる。もちろん有料だ。当然断る。たかだかガイドが書いた紙切れが何の役に立つのか疑問である。第2の関所もなかなか大変なのだった。  は~、自由になるのって、疲れる。

■やっぱりガイドは不要?(ドゴン/3月20~25日)

ジギボンボで日本人の大学生、K君に会った。彼はガイドを雇って来ていたが、重い荷物を背負う彼に比べてガイドは何も持っていない。「少しは持ってあげたら?」と言うと「俺はポーターじゃない。必要ならポーターを雇えばいい」というふてぶてしい態度。こんなヤツの分まで金を払って一緒に旅するなんて冗談じゃない! しかも、ジギボンボから次の村、カニコンボレまで5kmほどの距離を歩いて行くという。ここは未舗装だが広くて立派な道路が通っていて、車やバイクならすぐなのに。途中に村があるわけでもなく、はっきり言ってガイドの日数稼ぎ(ガイド料は1日当たりの料金)に他ならない。そのカニコンボレから先も砂の深い未舗装だけど、オフ車ならまったくノープロブレム。10kmほど先のエンデという村までは何も問題ない。そこからは徒歩でないと行けないところがあるそうなので、私たちはエンデの村まで日帰りで往復した。道もわかりやすいし、わからなければ村の人が教えてくれる。村にもちゃんと英語を話せる人もいたし、ガイドがいないからと、入村拒否されることもなかった。逆にガイドがいないので村の人たちも直接私たちに話しかけやすいようにも思えた。  私たちは結局ジギボンボに2泊して観光向けでない仮面の祭りも見られたし、テリの村に2泊して村の人たちとも仲良くなれた。  ガイドを雇うメリットも確かにあるし、いいガイドさんもちゃんといるけれど、ガイドと一緒じゃなければ行けないわけじゃないのだから、もっとツーリストの意向も考えてガイドシステムを改善すべきでは? といろいろ考えさせられたドゴン村なのだった。

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