ぽこけん

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ブルキナファソ・トーゴ・ベナン・ニジェール 2003年3月25日~4月3日

ブルキナファソ・トーゴ・ベナン・ニジェール 2003年3月25日~4月3日

■ビールが冷えているのだ!(ブルキナファソ・ワガドゥグ/3月25~29日)

マリのドゴン村で前田りゅうさん&直子ちゃん夫妻と別れ、一路ブルキナファソを目指した。彼らはガーナからバイクごと飛行機で南アフリカまでワープする予定なので雨季になろうが関係ないけれど、陸路でずっと行こうともくろんでいる私たちは、ナイジェリア、カメルーンの雨季が心配だった。道路も舗装ではないから、下手をすると通行不能になってしまうかもしれない。もう3月も終わりなので、タイムリミットではあった。そんなわけで、これからカメルーンまではちょっと急ぎ足になる。  マリからブルキナファソへ向う国境付近のダートの道は思ったよりも整備されていて、深い砂の箇所はまったくなかった。もうすぐ舗装されそうな道路。アフリカもどんどん旅しやすくなっている感じがする。 ブラックアフリカはどこもそうだけど、国が変わったからといって、ガラリと雰囲気が変わったり、民族が違ったりすることはない。もともと現在の国境はヨーロッパの列強によって引かれたものだから、同じ 文化圏の人たちがマリ人になったりガーナ人になったりしているだけで、たとえ公用語が違っていても部族語は一緒だからあたりまえなのだけど。  マリより南に位置するためか、ブルキナファソはイスラム色が少ない。モスクも少なく、それに反比例するように、BARがたくさんある。しかもみんな午前中からおおっぴらにビールを飲んでいる。これはいいぞ。  私たちも安宿に落ち着くやいなや、宿の中にあったバーでキンキンに冷えているビールを飲んだ。

■マンゴの町にて(トーゴ/3月29~31日)

トーゴ入国時の荷物チェックは厳しく、サイドバックもトップケースも全部中身を確認された。外国人は私たちだけのせいもあって興味本位だったのと、ヒマだったのが理由かもしれないけれど、パッキングし直すのが面倒なんだよねえ。  国境のダートを南下して行くと、乾燥したサヘル気候からだんだん緑が増えてきて、背の高い木が現われた。雨が多いのだろう、湿気も多くなってきた。  なんとなく適当な宿が見つからないうちに暗くなってしまい、マンゴという小さな町でなんとか宿を探し当てた。客は私たちだけだったが、トイレ、シャワー、扇風機付きの部屋が3500CFAと物価はさらに安くなった。ここのマネージャーは英語を話すのでびっくり。首都ロメの人で、隣国ガーナの友人がたくさんいるから(ガーナは英語)、とのこと。アフリカの人は自分の部族語のほかに旧宗主国の言葉を話すが、それは部族間の共通語にもなっている。1つの国の中にも部族がたくさんあり、その部族ごとに言語があるので、共通語がないとコミュニケーションがとれないのだ。彼らにとってのフランs語や英語は、日本人が英語を習うのとはわけが違う。新聞もTVも、雑誌もフランス語や英語なのだから読み書きできなければ生活するのが大変になる。ここのマネージャーも、自分の息子との間ではフランス語を使っていた。なんだか複雑なのだ。  町には食堂もなかったが、バーが1軒あり、屋台の串焼き肉をつまみにビールを飲んだ。バーのお兄さんはとても親切で、何やかやと面倒を見てくれた。もう少しフランス語が話せたらもっと楽しいのになあ、と思う。

■選挙日は入国禁止?(ベナン/3月31日~4月1日)

トーゴで1泊したあと、すぐに隣の国、ベナンへ向った。トーゴで出国手続きをすませ、100m先のベナンのイミグレへ行くと、なんと今日は選挙日で入国はできない、と言われた。なんで? どうして? トーゴ出国のときに係官が教えてくれてもよさそうなのに? 憤慨してもここはアフリカ。おとなしくまたトーゴに入国手続きをして、30km離れた町まで引き返す。5ヶ国共通ビザはマルチプルで何度でも出入国できるから、こういうときに都合がいい。  翌朝、同じ国境へ向う。今度は無事に入国できたが、税関手続きをしようとすると「行ってもいい」と言う。いつもはカルネを使うか税関でバイクの書類を作ってもらうのだけど…。出国のときにモメないだろうか? 少々不安だ(結局出国時も税関に寄る必要なかった)。

 

■おじさんライダーと出会う(ニジェール/4月1~3日)

ニジェールへは特に用事もなかったし、はっきり言ってナイジェリアへ行くには遠回りで寄り道になる。それなのに、なぜわざわざ、と思う諸氏がいるかと思うが、理由は「せっかく5ヶ国共通ビザを持っているのにもったいない」ということだった。加えて訪問国を増やす、という健ちゃんの思惑もあって、ちょっとだけかすめることにしたのだ。  そんなわけで、首都ニアメイにも寄らず、トーゴ、ナイジェリア国境の片境地を走っただけになってしまったけれど、それでも1000km近く走ったので、「ニジェールを旅した」と言うことはできるだろう。ニジェールにも腹ペコ少年たちがたくさんいた。やっぱり貧しいのだろうなあ。   国境の町に着き、キャンプ場のバンガローに落ち着いた。早速キャンプ場のバーで冷たいビールを飲む。何しろ暑くてとても表に出られない。日向に出ると焼けつくような日差しが照りつけている。こんなところで生きるのは大変そう。  他に誰もツーリストがいないと思っていたら、隣のバンガローにフランス人ライダーがやってきた。BMWに乗る57歳のコンボイさん。その昔はオイルビジネスでアフリカに駐在し、その資金をもとにフランス・グルノーブルでホテルを経営していたけれど、1年前にホテルの権利を売って旅に出たとの話だった。もちろん奥さんや子供もいるけれど、子供ももう大きいし、きれい好きな奥さんはアフリカの旅にはとても耐えられない、と同行してくれなかったので、結局1人でバイクツーリングをすることになったのだそうだ。  彼の今回の旅はカメルーンまで行ってから引き返し、これからアルジェリア経由(※)でフランスに戻る、とのこと。こんな暑い時期にサハラ越えなんて大丈夫? ここでも昼間は45度にもなるから、砂漠の中では50度を越えるだろう。砂漠の旅は厳しいのだ。

※アルジェリアを通るサハラ越えのホガールルートでは、2003年2月に31名の車・バイクツーリストが行方不明になっている。

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