ぽこけん

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ハンガリー・スロバキア・チェコ・ポーランド・ドイツ 2002年5月31日~6月28日

ハンガリー・スロバキア・チェコ・ポーランド・ドイツ 2002年5月31日~6月28日

■ハンガリーワインの里、トカイ(トカイ/5月31日~6月2日)

ハンガリーといえば、知る人ぞ知るワインの産地。特に東部のトカイ、エゲルはハンガリーワインの大産地で、ワイナリーがたくさん並び、自家製ワインの試飲、直売をしている。トカイは甘口の白ワイン「トカイ・アズー」、エゲルは赤ワインの「エグリ・ビカベール(エゲルの雄牛の血)」が有名で、ワイナリーごとに味が違うようである。私たちもそれぞれキャンプ場に泊まってワインを味わった。
東部だけではなく、ハンガリーでは各地でたくさんのワインが作られている。走っている途中に「VINO(ワインのこと)」と看板が出ていて、たどって行くとローカルなワイナリーに行きつく。
そういうローカルなワインは1㍑100円以下から買える。スーパーマーケットで買うよりもずっと安くておいしい。ハンガリーを旅するのなら、ローカルなワイナリーを見逃すべからず!


■バラトン湖は思いっきりリゾートだった(バラトン湖/6月4日~6日)

「中欧の海」、バラトン湖はハンガリーきってのリゾート地。湖畔にはたくさんのキャンプ場やホテル、別荘が並んでいる。とりあえず私たちも湖一周してみるか、と向かったが、そろそろ夏のバカンスシーズンなのか、どこも観光客がいっぱい。その多くはキャンピングカーで来ているドイツ語圏のシルバー夫婦。クロアチア以来見かけなかったけれど、またもや彼らのテリトリーに入ったようだ。
湖はかなり広く、「東京都がすっぽり入ってしまう広さ」だという。半周してみたけれど、道路から湖を見ることができない。ストランドと呼ばれる湖水浴場がいくつかあるが、有料だし湖水も濁っていて泳ぐ気にもなれない(でも、西洋人たちは泳ぐのだ)。
なんかイマイチ。ガイドブックを見ると、湖から少し内陸に入ったところにへーヴィーズという温泉湖があり、「ハスの花の間で浮き輪を付けた人がプカプカと浮かび、幻想的な風景」と書いてあった。お、おもしろそう。湖も飽きたし、私たちもそこでプカプか浮かびたい! と思って行ってみることにした。そうしたら、隣接するキャンプ場が超満員。しかもハイシーズン料金で4000フォリント(1920円)だという。高い! 昨日は1500フォリント(720円)で泊まったのに! さらに私たちのテントサイトは他のキャンピングカーのサイトと違って衆人の注目を浴びる川辺リの芝生だという。バカにしてるのか?
雨も降ってきたし、温泉湖も入る気が失せ、ドイツ人シルバーの皆様がプカプカと浮かぶ「幻想的な風景」を見ただけでバラトン湖に戻ることにした。もう西洋的なリゾート地はいいや。素朴だったルーマニアが懐かしい。

■テレサハウスにライダー集合(ブダペスト/6月7日~20日)

ブダペストには現在4つの日本人宿がある。そのうちのひとつが「テレサハウス」。ロックアウトがあってキッチンが使えないので人気がないのだけれど、ライダーにとってはここがベスト。広い中庭があって安全にバイクを駐車できるのだ。
ここにはSRの村田憲治さん&XL250Rの長島文恵さんカップルが滞在していた。憲治さんは北米をスタートし、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、ヨーロッパというルートだが、アフリカだけは彼女の文恵さんとタンデムで走ったそうだ。それで目覚めてしまった文恵さんは一度日本に戻ってバイクの免許を取得し、資金を貯めてからヨーロッパで憲治さんと再び合流、ドイツでバイクを買ってめでたくライダーデビューとあいなった。現在は2台でツーリング中。これから中央アジア、そして中国ルートをねらっている。中国を個人で走るのは難しいけれど、憲治さんならもしかして、と思わせるものがある。
彼は北米をスタートしてから7年間、日本に一度も戻らずに旅を続け、お金がなくなると働いて資金を貯める、という強者だ。今までニューヨーク、スペイン、ノルウェー、ドイツで働いたとか。日本で働いたほうがお金にはなると思うのだけど「海外で暮らしてみたかったから」という。すごいバイタリティの持ち主なのだが、本人以上にがんばっているのが走行15万kmのオンボロSR。無事に日本にたどり着けるだろうか?
アテネで一緒だったDR800Sの青山さんにもここで半年ぶりに出会った。冬の間、東南アジアをバックパッカー旅行してからライダーに復活、今度はロシアを横断して日本に戻る予定。青山さんも旅はもう3年になる。それに比べ、1年弱の我々はまだまだ若輩者なのである。

■ここは温泉天国、ホモ天国(ブダペスト/6月7日~20日)

ブダペストといえば、温泉で有名だ。市内には100ヶ所もの源泉があるといわれ、温泉施設もたくさんある。中でも有名なのがセーチェニ温泉。屋外の巨大な温泉プールやいくつもの屋内浴槽、サウナがあり、みんな水着をつけて入る。温度は35℃くらい。大人も子供も一緒に楽しめる健全な温泉なのだが、中には危ない温泉もある。何が危ないのか、というと、ホモである。
その筋では「キラーイ温泉」が有名で、水着はつけず、日本と同じように裸で入る普通の温泉なのだが、ホモが集まることで知られている。行ってきた日本人旅行者に話を聞くと、「最初はわからないんですけど、よく見るとすごいんですよ」
どうすごいのか?
「サウナで待ち伏せされて、3人のオヤジに体を触られました。怖かった」
「真ん中のほうで変にリズミカルに動いてる2人組がいた」
「オヤジが自分のモノをしごきながら近づいてきた」
これは相当すごい。情報ノートを見てもみんな「すごかった」という感想が書いてある。おもしろそう。行ってみたいなあ。男女別なので、私はどうがんばっても入れないから、健ちゃんに様子を見てきてくれ、と頼んだら「貞操が危ないから、絶対イヤだ」と頑固に拒んでいる。「見るだけでいいから」と再三頼んでも、結局行ってくれなかった。う~ん、残念無念。私が男だったら覗きに行くのになあ。ちなみに女性のほうは以前に入ったけれど、特に変わったことはなかった。
ところで、この「キラーイ温泉」、ガイドブックにはそんなことは一切書かれてないが、知らずに浴槽の真ん中に行ってしまったら大変、らしい。「パートナー求む」の意味らしいので、男性諸氏はお気をつけあれ!

■ブダペスト出発の日(ブダペスト/6月20日)

ブダペストではセローのスプロケットとデジタルカメラを受け取る、という目的があったのと、ちょうどワールドカップの日本戦があったせいで長居してしまい、結局予定外に2週間も滞在した。その間にすっかり夏になってしまったようだ。ブダペストに来る前は雨が多かったのに、6月中旬のある日、1日中雨が降り続いたあと、梅雨明けしたように毎日晴天続きになった。日中の気温は35℃を越えて異常に暑いし、夜は9時頃まで明るい。本格的なヨーロッパのバカンスシーズンが始まったのだ。
日本がトルコに負けた翌翌日の6月20日、ライダー5人は一斉に出発することにした。我々はスロバキア、ポーランド経由で北欧へ、憲治さん&文恵さんはルーマニア、ブルガリア経由でトルコ、中央アジアへ、青山さんはバルト三国でビザを取ってからロシア横断とそれぞれ別のルートを行くことになる。今度はいつ会えるのだろう?
海外で出会った日本人ライダーとは、長いつきあいになることが多い。それは外国という特殊な環境で同じように旅する人同志が同じ時間を共有した、という共通の思い出があるからだと思う。実際に日本でもときどき海外ツーリングライダーが集うキャンプ大会が開催されていて、何年も交流を続けている人も多い。ツーリングマップルのスタッフの1人でもある藤原寛一氏も、15年前にオーストラリアで出会った古くからの知り合いだ。こうした仲間との繋がりは今後も大事にしたい。


■グリーンカードをゲットできず(6月21日)

ハンガリーをあとにスロバキアで1泊してからポーランドに入国した。ここの国境では、外国人でもグリーンカード(ヨーロッパ共通の自動車保険)を安く取得できる、と聞いていたので期待していったのだけど…。グリーンカードがないと、罰金1000ドルらしい。実際、イタリアでポリスに見つかって払わされたライダーもいる。でも、居住してないとダメとか、異様に高かったりするので、今まで入れなかったのだ。
入国してすぐ右手にある建物で聞くと、ポーランドの保険にしか入れないという。他の国のは? と聞くと、「チェコ側で入れ」と国境のオフィスを紹介されるが、ここでもチェコの保険にしか入れないとのこと。いったいどうして? 1ヶ月前にここを通った憲治さんたちはちゃんとグリーンカードをゲットしている。
考えられるのは、今までもここの国境でしかグリーンカードをゲットできなかったそうなので、この春の料金改定とともに、ここの職員が「外国人にはグリーンカードを売れない」ことに気が付いてしまったのでは?
とにかく、私たちはあきらめざるを得なかった。仕方なくポーランドだけの保険に加入したので、ポーランド出国までは大丈夫だけど、どうかこの先、ポリスにグリーンカードチェックをされませんように。

■アウシュビッツへ(6月21日)

ポーランド南部に位置する小さな村、オフィティエンチム。ドイツ語で「アウシュビッツ」。いわずと知れた、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の地である。収容所跡は現在「アウシュビッツ・ミュージアム」として一般公開されていて、一人でも多くの人に見てもらおう、という趣旨から入場無料になっている。広島の原爆ドームと並び、人類の負の遺産ともいうべきものだ。
私たちはポーランド入国後、すぐにアウシュビッツを目指した。世界遺産だというのに、看板もほとんど出てこないし、そこまでの道も整備されない田舎道だった。
やっとたどりついた村もさみしい限り。駅前には小さな商店と食堂、ホテルがあるだけ。キャンプ場もホステルに併設されたところだけで、他にキャンピングカーが1台しか泊まっていないし、あたりにはひとっ子一人歩いていない。歴史的にも重要な場所だというのに、荒涼とした平原が続いているだけで、暗くさみしい雰囲気なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

■「負の世界遺産」<アウシュビッツ>(6月22日)
翌日、いよいよ「アウシュビッツ・ミュージアム」へ。さすがにここの駐車場には大型観光バスも止まっていて、たくさんの人が来ていた。みんな他の町に泊まり、日帰りで見学するようだ。
「ARBEIT MUCHT FREI」(働けば自由になる)」と書かれた門をくぐり中に入ると、レンガ造りの収容棟が並んでいて、一見何の変哲もないところなのだけど、あちこちに立つ看板の説明文を読むと、急に過去のできごとが現実として迫ってくる。
説明文はポーランド語、英語、そしてヘブライ語で書かれている。ここを訪れるイスラエル人(ユダヤ人)も多いのだろう。私たちは日本語で書かれたパンフレットを買い、丁寧に見学していった。
大量殺戮に使われたガス室、遺体を焼いた焼却炉、飢え死にさせるための「飢餓室」、90×90cmの狭い空間に4人を閉じ込める「立ち牢」、銃殺をした「死の壁」などが残る。大量の髪の毛は織物や絨毯の材料にもされていたという。
ここで殺された人は計150万人というから、単純に5年間として計算しても1日に800人以上が殺されていたことになる。
本当にそんなことが行われていたのか? と思いたくなるほどだが、これらは、みんなたった半世紀前のできごとなのだ。ナチス・ドイツは狂っていたのだろうか?
ナチスの犯罪には時効がなく、50年以上経った現在でも戦犯が捕まったりしている。高校時代に世界史を選択しなかった後遺症か歴史にうとい私。どうしてナチスがユダヤ人を絶滅させようとしたのか、よく知らない。日本に帰ったら、ナチス関係の本を読んでみよう。
ここでは誰も騒がないし笑ったりしない。人前でイチャつく若者たちもいない。みんな神妙な顔で見学している。私たちもやっぱり言葉が出ない。1日見学したらどっと疲れた。

■「第2アウシュビッツ」ビルケナウ<アウシュビッツ>(6月23日)

翌日は3kmほど離れた「第2アウシュビッツ」と呼ばれるビルケナウの収容所を見に行く。オフィティエンチムの「アウシュビッツ・ミュージアム」よりも数倍大きな収容所で、とにかくだだっ広い敷地にいくつものレンガ造りの収容施設が並んでいるが、その半分以上はナチスが証拠隠滅のために燃やしてしまったそうだ。ガス室も瓦礫状態になっていた。
収容所の外から「死の門」と呼ばれる入口を通って、ガス室まで鉄道の引き込み線が続いている。ナチス支配下の周辺諸国から列車でここに連れてこられたユダヤ人の70~75%は即座にガス室送りにされ、働けそうな人は収容所に入れられ、死ぬまで働かされたのだ。
それにしても暑い。暑すぎる。6月末でこんな気候なのだから、8月はかなりの暑さだろう。冬は逆に冷え込みもひどいようだし、ユダヤ人たちはこんな過酷な場所で働かされていたのか。
見学し終わってキャンプ場に戻ったら、健ちゃんが熱射病になったと騒ぎながら倒れ込んでしまった。日陰で休んだらすぐに回復したけれど、もし健ちゃんがアウシュビッツの囚人だったら、とっくにガス室送りになっていただろう、と思う。
この2日間、なんだか疲れた。「負の世界遺産」の見学は、精神的にも肉体的にもかなり重いのであった。

そんなわけで、ポーランドはアウシュビッツだけにして、あとは北欧を目指してドイツを抜けてデンマークへ急いだ。

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