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トルコ 2001年11月23日~12月25日

トルコ 2001年11月23日~12月25日

■自由の国、トルコでひと休み

無事にグルジアを出国し、トルコへやってきた。トルコ側の国境ではもちろん賄賂請求などなく、いたってマトモで親切だった。そうだ、ここは旧ソ連の国じゃなく、ちゃんとした資本主義の国。もう外国人登録もしなくていいし、ミリタリーチェックもないし、自由の身なのだ。  国境から20kmほど走ったホパという町で昼食を食べる。トルコ風の料理も新鮮だしうまい。イスラム教なので食堂でビールが飲めないのが難点だけど、商店では売っているから、まあ、いいや。  ゆっくりとトルコの食事を満喫し、町を出ようとしたところでセローのリアがパンク。バイクも安心して気が抜けたのだろうか。とにかく、グルジアの雪道でパンクしなくてよかった、と思いながらすぐ横にあったミニバス会社の駐車場で直していると、ドライバーの人達が手伝ってくれたうえ、パンク修理の工場をやっている、というおじさんがタイヤごと持って行って直してきてくれた。  なんだかトルコっていいなあ。  港町トラブゾンに到着。ほっと安心したせいか健ちゃんが風邪をひいてしまい、ここで10日ほど停滞することになったが、物価が安いので助かる。安ホテルは1泊ツインで5.5ドル。食堂では1ドルで食べられるのだ。バイクも路上駐車で心配ないし、好奇の目も少なくて居心地がいい。とはいえ、もう12月。どんどん寒くなるし、いつ雪に降られるかわからない。イスタンブールへ着くまで安心できないのであまりのんびりもしていられない。

■トルコはラマザンだったのだ

内陸は雪が降るかもしれない、と黒海沿いのワインディングをひたすら西へ向かう。この道が実際はずっと海沿いではなく、丘陵地帯を行くアップダウンの多い狭いクネクネ道のため、とにかく時間がかかる。普通、イスタンブールへは内陸のメインロードを利用するので、海沿いは路線バスなど通らないし、途中には小さな町しかない。私たちだって、雪の心配がなけば通らないはず。でも、こんなところだから、観光客など滅多に来ない。トルコではどこも観光地化されているのか思いきやそうでもなく、こうした小さな町では誰も英語を話せないし、日本人はまだまだ珍しいので、食堂に入っただけでも人に囲まれ、中央アジア以来の大スター気分を味わった。  黒海を離れ、内陸へ。霧氷の峠を越えて、サフランボルへ向かう。小さな町だけれど中世からのトルコの木造民家が残り、ユネスコの世界遺産にも登録されている観光地でもある。それだけに冬とはいえ外国人ツーリストの姿もちらほら。  ここには日本人御用達のような宿もある。雰囲気のいい旧市街にある「バストンジュ・ペンション」がそれ。激やせする前の宮沢りえに似ている、と評判の19歳のヤスミン、14歳のアリの姉弟が出迎えてくれた。開業して1年半、日本人が多く来るとはいえ、アリは日本語がペラペラ。私の知らない「ゆず」の歌まで歌える。辞書もなく会話集もないのに、聞き覚えの独学でここまでしゃべれるようになるなんて、うらやましいなあ。  ところで、このペンションの朝食がやたらに遅い。10時くらいになってもみんな起きてこない。どうしてかというと、イスラムのラマザン(ラマダン)中だからなのだった。イスラムの戒律の緩いトルコといえど、田舎町ではほとんどの人が実行している。  ラマザンの期間は約1ヶ月。夜明けから日没までの間、食べ物だけではく、水も飲んではいけない。中には昼夜逆転してしまう人もいるようだけど、普通は、夜明け前にみんなで起きて朝食を食べてからひと眠りする。そのため、次に起きるのは10時頃になってしまうので、朝はみんな遅くまで眠っている。それでも2001年のラマザンは1年で一番日が短い時期だったから比較的ラクだったようだ。私も一緒にラマザンをすれば少しは痩せられたかも?

 

 

 

 

■イスタンブール到着!

サフランボルからイスタンブールへ。出発前夜に雪が降ったものの、昼間は溶けていたのでひと安心。それでも気温は0℃を下回り、健ちゃんのジェベルはオーバークールで何度もエンジンが止まってしまう。セローは大丈夫なのに、オイルクーラーが原因だろうか?  雨も降ってくるし、ガタガタ震えながらイスタンブールに到着した。ずっと田舎道だったし、シベリアや中央アジアとはケタ違いの大都会。交通量も多いのでハイウエイは恐ろしい。人口1000万というから、東京にも匹敵する規模なのだ。  それでも知らないうちにアジア側のフェリー乗り場に着いていた。ここが、アジア大陸の果て。向こうには巨大なモスクが見える。イスタンブールの旧市街、シルケジ地区、ヨーロッパ大陸だ。 「やったー! アジア横断だ!」 「万歳!」  まさに、アジアの旅を終えた記念すべき瞬間なのでそう叫びながら、一応記念撮影はしたけれど、雪はちらついてくるし、とにかく寒くて寒くて、そんな感慨に浸っている状況ではなく、 「どうでもいいから、早くどこかの宿に落ち着いて温まりたい!」 心の中はそれだけを願っていたのだ。  そんなわけで、あまり考えもせずに旧市街にある「コンヤペンション」に落ち着いた。ここは日本人宿として知られていて、客のほとんどが日本人、その大半が長期旅行者だ。悪天のせいもあり、狭い空間にたくさんの日本人が集まっていて、宿の中は日本そのもの。日本食も食べられて、旅の疲れも癒せた。こういう宿が世界各地にいくつかあるが、長期の旅人には心強い存在だ。

■イスタンブールの旅人たち

ヨーロッパとアジアの間、そして中東への分岐点にあるイスタンブールは旅の休憩ポイントにちょうどいい。ヨーロッパからくるとアジア的でほっとして落ち着けるし、中東やイランから来るとイスラム教もゆるく酒も飲めるし、ヨーロッパに近い感覚。また、私たちのように旧ソ連からだと久々の資本主義に解放感を味わえる。物価も安いのでついつい長居をしてしまうのだ。  ここに滞在していたのも、中華料理のシェフをしていたというOさん、5年以上もの旅の途中、この宿でボランティアをしているノブさんほか、個性的な旅人ばかり。特にすごかったのは、中国・西安から自分の足で走ってきたという、中山嘉太郎さん。「地平線会議」という冒険者のネットワークで中山さんのことは聞いていたけれど、てっきり体力派の若者を想像していたのに、40代の痩せた、気の弱そうなおじさんだったのでびっくり。バイクの私たちよりもずっと大変だったはずなのに、 「いやあ、今の若い人はこんなことしませんよ」 と、漂々としている。  そういえば、この宿にいるバイクの旅人も私たちとハーレーで世界一周中の林さん。みんな30代以上だ。冒険家も同様、海外ツーリングライダーも高齢化が進んでいる?  中山さんはイスタンブールが一応ゴールなので、ここで日本に帰るが、今後アフリカへも足を延ばして世界一周を目指したい、と話していた。ガンバレ!(後日、ラジオの国際日本語放送で聞いたが、2001年の植村直己冒険賞に中山さんが選ばれました。おめでとうございます)。

■国境で大雪!

通行不能か?  コンヤペンションでダラダラと過ごすうちにギリシャとの国境付近で大雪が降ってしまった。それまでもイスタンブールでは12月に入ってから2週間以上も冷たい雨が続いていたが、このときはかなり記録的な雪だったようだ。昼間の気温もずっと-1℃前後と寒い。  「イスタンブールにさえ行けば、もう雪の心配はないだろう」 とタカをくくっていただけに、予想外の寒さと雪に困り果ててしまった。しかもギリシャ北部も大雪らしい。エーゲ海沿いだから冬も暖かいだろう、と思っていたのが大間違い。   「行けるところまで行って、ダメならそこで泊まって待てばいいか」と、気楽に考えて出発した。ところが、イスタンブールを過ぎて40kmほどの国道で積雪のために大渋滞が起きていた。道端ではチェーンを売る人々がいて大繁盛。車もあちこちでスリップしてぶつかっているし、これはヤバイ!  仕方なくイスタンブールに引き返す。事態は私たちが思っていた以上に大変だった。  その3日後、天気も回復したので再び挑戦するが、今度は160km先でアイスバーンのため断念。タイヤチェーンがない上、荷物が重くスリップして進めない。あと90kmで国境だというのに。残念無念。  そんなわけでまたまたコンヤペンションに出戻る。アテネまで鉄道に乗せて運ぶことも考えたが、列車も雪のために不通になっているという。このままではトルコに閉じ込められてしまう。どうしよう。ビザなしで滞在できるのは3ヶ月までだし、カルネで通関しているため、その間にバイクと一緒に出国しなくてはならない。人間だけインドへ避寒というプランも出たが、その間バイクを税関にあずけなければならず、しかも、1日1台5ドルも取られるというので計画だおれになる。  結局、3度目の正直で、12月25日、ようやく国境を越え、国境の町から運よく出ていたアテネ行きのフェリーに乗りこんだ。どんよりした空の下、エーゲ海はどこまでも灰色だった。

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