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スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・ユーゴスラビア 2002年4月29日~5月11日

スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・ユーゴスラビア 2002年4月29日~5月11日

■高いぞ!「保険という名の賄賂」 <スロヴェニア/4月30日~5月1日>

イタリアからアドリア海沿いにスロヴェニア経由でクロアチアへ向かう。やっぱりスロヴェニア国境でグリーンカードをチェックされる。当然私たちは持っていない。 持っていなければここで入れるが、15日間で19ユーロと安くないし、スロヴェニアだけしかカバーしていないというシロモノ。クロアチアまでの、ほんの数十km走るだけなのにくやしいが仕方ない。「保険という名の賄賂」と私たちは呼ぶことにした。通行料かもしれない。でも、もし万が一事故に遭った場合、本当に保証してくれるのだろうか? そのまま通り過ぎるのもシャクだし、もう夕方だったので、どこかで泊まることにするが、周囲には何もなく、仕方なく野宿する。人家も少なく、イタリアと違ってどこでもやりたい放題なのはいいけれど、周囲に店も何もなく、お金も使えずじまいだった。

■アドリア海沿いを快適ツーリング <クロアチア/5月1日~3日>

あっという間にスロヴェニアを通り過ぎ、クロアチアへ入国した。ここではパスポートチェックだけでグリーンカードのチェックはなし。よかった、いちいち払わされたのでは大変だ。  アドリア海沿いにひたすら移動する。この道は右に海を見ながら緩いカーブが続く、気分のいいルートだ。格好のツーリングコースでもあるらしく、スロヴェニアナンバーの大型バイクが何台も私たちを追いぬいていく。12年前はロシア製かチェコ製バイクしか見かけなかったのに、すごい変わり様。キャンプ場やホテルも多く、旅をするのに不便は感じない。ほとんどイタリアあたりと同じ感覚で旅ができるので、西側ナンバーのキャンピングカーも何台か来ている。数年後は西ヨーロッパと同じレベルになりそうな気配だ。

 

 

 

 

 

 

 

■「アドリア海の宝石」ドブロブニク <クロアチア/5月3日~6日>

アドリア海に面したドブロブニクは旧市街全体がユネスコの世界遺産に指定されている。 アニメ映画「魔女の宅急便」の舞台だという、中世からの美しい街並みで知られていて、旧ユーゴスラビア随一の世界的な観光地。赤い瓦屋根の家々、石造りの教会、風情のある細い階段状の路地など、絵になる風景が見られる。  同じクロアチアでも北部はほとんど被害を受けなかったが、ドブロブニクはボスニア・ヘルツェゴビナに近い南部にあるため、1990年から始まった独立戦争で、ユーゴ連合軍からひどく攻撃された。旧市街も例外ではなく、あちこちでひどくやられたという。現在はほぼ復旧されているが、真新しい瓦屋根を見ると、なんだか痛々しい。  プライベートルーム(民宿)のおじさんの話だと、家のすぐ前の道路も攻撃され、「道路から庭に下りるのがあと2分遅ければ、私は死んでいた」という。銀行に預けていたお金も戻ってこなかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ボスニア戦争の傷跡<ボスニア・ヘルツェゴビナ/5月6日~7日>

ボスニア・ヘルツェゴビナといえば、聞き覚えのある人が多いだろう。1990年から始まったユーゴスラビア独立戦争がここでは民族紛争に発展し、死者20万人、200万人以上の難民を出した。中でもクロアチア国境に近いモスタルは激戦地だったところ。破壊されたままのビルがあちこちに残り、家の壁やアスファルト路面にも銃痕が無数に残っている。町の象徴だった旧市街の石橋も壊されたまま。  まったく知らなかったけれど、ボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム教徒が40%以上も占め、ほかにセルビア正教、カトリック教徒がいるので、同じ町の中に教会とモスクが混在している。アッザーン(イスラムの礼拝の呼びかけ)と教会の鐘が町のあっちこっちで響き渡っている、なんとも不思議な町なのだ。旧市街近くにモスクが集中していて、私たちが泊まったのもトルコ系住民のオメールさんの家。ドイツ語とフランス語の先生をしていたそうだが、なぜか今は一人暮らし。聞くことはできなかったが、戦争で家族を亡くしたのだろうか。街中にある墓地の墓標を見ると、1992~1995年、中でも1993年のものが圧倒的に多く、年齢の若い人のお墓もたくさん。TVの映像でしか知らなかった戦争が、その場に来ると実感できる。  ここに来て改めて思ったのは、広島と長崎のこと。自分の国のことも、もっと知っておかなくては。

■軍隊に守られているサラエボ<ボスニア・ヘルツェゴビナ/5月7日~9日>

首都サラエボも同様に異教徒が混在していて、イスラム教、カトリック、セルビア正教、ユダヤ教の寺院があり、「ヨーロッパのエルサレム」との形容がある。私にとっては1984年の冬季オリンピックのイメージしかなかったので、またしてもびっくり。ただ、その宗教の違いによる民族紛争のため、街は1992年以来セルビア人勢力に攻撃され、1万人以上の市民が犠牲になった。戦争当時は高層ビルにたてこもったセルビア人兵が無差別に市民を狙撃したため、トラムの通る道路は今でも「スナイパー通り」と呼ばれている。  ボロボロに破壊されたビル、あちこちの建物に残る銃痕…。現在のサラエボを見る限り、オリンピックを開催したような近代的な街とはとても思えない。  街中には「UN」と書かれた国連の車が走り、各国の軍隊が大勢駐在している。ドイツ、イタリア、フランス、ギリシャなど腕に国旗を縫いつけ、国ごとに特徴のある帽子を被っている。当然、日本からは来ていないが、日の丸と「From Japanese People」と書かれた何台もの黄色いバスがここサラエボでも、モスタルでも走っていた。日本の海外援助がこんな形で役に立ってるんだなあ、とちょっと感動。

 

 

 

■ソ連的な旧体制の残る国<ユーゴスラビア/5月9日~11日>

ボスニア・ヘルツェゴビナからユーゴスラビアの国境は山道の途中にあった。国境越えをする車はほとんどない。このあたりはボスニア・ヘルツェゴビナ国内のセルビア人共和国にあたり、まだ過激なセルビア人のテロが潜んでいるかも! 地雷が埋まっているかも! なんてびびりながら走る。  ユーゴスラビア側ではまたもやグリーンカードでひっかっかる。今度は1ヶ月有効で50ユーロ! でも払わざるを得ない。さらに税関で外貨申告も行った。というのは、ユーゴスラビア出国時に、3000ドルの現金を没収されたという日本人旅行者の噂を聞いていたからだ。普通は3000ドルくらいなら申告しなくてもOKだし、まず荷物検査をされることなんてないのに。ここ、ユーゴスラビアでは旧ソ連の影響が強く残っている気がする。本当にクロアチアやスロヴェニアと同じ国だったのか、と思うとびっくりする。  今回マケドニアには行かなかったし、首都ベオグラートにも行っていないけど、旧ユーゴスラビアの中でも、一番旧体制のまま取り残されている感じがした。

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