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スペイン・ポルトガル 2002年9月19日~10月25日、12月14日~12月23日

スペイン・ポルトガル 2002年9月19日~10月25日、12月14日~12月23日

■ピレネーを越える

フランスからピレネー山中にある免税の国アンドラを通ってスペインへ入国した。ピレネー山脈はアルプスに比べて山容がなだらか。標高も3000m級が最高なので9月の後半でも雪はなく、峠越えの道もそれほど寒くはない。  かつては「ピレネーを越えるとアフリカ」と言われたように、スペインは地理的、文化的にもアラブ世界に近く、加えてラテンの血も混じった不思議なところ。私のお気に入りの国なのである。  それにスペイン語は南米経験者の私たちにとって馴染みがあるので安心。とはいえ、かなり忘れかけているし、ちゃんと勉強していたわけではないので中途半端。スペイン語を話しているつもりがロシア語になったりしてしまう。でも、「少しわかる」というのは「まったくわからない」のとは全然違うのだ。  それにスペインはこれまで取材で2度、3年前には50ccでツーリングもしていてトータル3ヶ月ほど滞在したことのある馴染みの国。初めて行くときのようなワクワク感はないけれど、勝手知ったるナントカで、ほっとできる国でもある。

■ガウディのバルセロナ(バルセロナ/9月20~22日)

バルセロナといえばガウディ。市内にはいくつかガウディの建築物があるけれど、どれも曲線の多い独特のデザイン。その代表的なものがサグラダ・ファミリアだ。スペインのガイドブックには必ず登場する、トウモロコシ状の尖塔が特徴的な教会である。1892年に着工されて100年以上経つが、未だに建築途中で、いつ完成するかわからないらしい。それでも12年前に初めて見たときよりはずっと進んでいたし、やっぱりガウディは天才だなあ、と思わせるものがある。健ちゃんも「ヨーロッパで見た建築で一番感動した」と言っていた。まあ、これを見るためにバルセロナに来た、と言ってもいいくらい。  バルセロナはなぜかとっても込んでいた。バカンスシーズンはとっくに終わっているというのに、市内は観光客でいっぱい。なんでも2002年は「ガウディ生誕150年記念」だとか。ホテルもほとんど満室で「Complet」の看板が下がっている。ツーリストインフォメーションへ行ってみると、「ホテルは最低でも70ユーロ」という。たまにはシティライフも楽しみたいのに、やっぱりキャンプ場に泊まることになってしまった。  まあ、それはどうでもいいけど、「生誕150年」なんてよく考えると大したことがないのでは? はっきり言って、バルセロナの一番の売り物はガウディなので、「没後●年記念」「サグラダ・ファミリア建築着工●記念」などもあるんだろうなあ、きっと。

■ぼったくりバーに頭にきたのだ(バルセロナ/9月21日)

街歩きな嫌いな健ちゃんも、サグラダ・ファミリアだけは見に行った。午前中はキャンプ場でダラダラ過ごし、バスに乗って街へ繰り出す。久しぶりの都会はツーリストだらけ。サグラダ・ファミリアも予想通り、入るのにすごい行列だったので、「まあ、とりあえずビールでも一杯」、と昼間から斜め前のバルに入る。そこらへんが不真面目な長期旅行者らしい行動である。  ところで、スペインでは「バル」または「セルベセリア」という気軽な飲み屋がたくさんあって、カウンターで軽く一杯、というのがスペイン流。同じ料理でも値段が違う。それを知らない観光客はみんなテラス席で優雅に食事をしている。  私たちはカウンターに座り、スペイン初心者に見られないように、ちゃんとスペイン語で注文した。  ところが、ビールを頼んだら勝手にローカルビールの倍もするバドワイザーの瓶を出してくるし、タパス(小皿)で頼んだら大皿に盛ってきた。日本人だからと甘く見られたか? 結局ビール2本とイカのフライで11ユーロ(1300円くらい)も取られてしまった。スペインってこんなだったっけ?

■ポルトガルは物価が高いぞ!(ポルト 9月30日~10月2日)

スペインのローカルな町から短いフェリーでポルトガルに入国。当然入国審査も何もない。  入国早々、ちょっとショックなことがあった。ガソリンの値段が0.1ユーロも高いのだ。当然ポルトガルのほうが安いと思っていたからタンクを空にしていたのだ。  スーパーに寄って食料品を見ると、やっぱりスペインよりも高い。どうして? GDPはスペインより低いのに物価は高いなんて、困ったものだ。ツーリストならまだいいけれど、住むには大変。  まずは港町ポルトへ向かう。アズレージョ(青い装飾タイル)の建物があちこちにあり、やっぱりスペインとは違う国なんだなあ、という印象がする。  セントロまで行き、駐車スペースのある安宿を探しているうちに道に迷ってしまった。ここは一方通行が多いし、坂ばかりで方向感覚が狂ってしまうのだ。ウロウロして何の収穫もないうちに、空が真っ黒な雲で覆われ、雨が降ってきてしまった。雨はなかなか止まず、雷まで鳴っている。北欧以来の本格的な雨だ。そろそろヨーロッパも冬に入る。町には冬の風物詩、焼き栗の屋台も出現しはじめた。  しばらく雨やどりして小降りになったところで出発した。なんだかもう安宿を探す気力は失せ、郊外のユースホステルに泊まることにした。ここは清潔でいいところなんだけど、街から遠い。それにドミトリーで1人12.5ユーロ、ツインだと35ユーロするから決して安くはない。街中のペンションならツインで20ユーロなのに。  ところでポルトといえば、ポートワインの産地。街にはたくさんワイナリーが並ぶ地区があり、ツーリストで賑わっている。ポートワインは甘口ながらも甘過ぎず深みがあり、若いワインにはない熟成された味。ただし値段も張るので試飲だけで我慢しておいた。普通のワインは150円くらいなのが1本1000円もするのだ。長旅は人間をケチにするのだろうか?

■ユーラシア大陸横断達成!(10月3日~4日)

ポルトを出てオビドスに寄り、10月3日夕方、やっとユーラシア大陸最西端のロカ岬に到着した。 断崖絶壁が続く景勝地でもあり、やっぱりツーリストが多い。  岬には「ここに地果て、海はじまる」という、有名な詩人の言葉が刻まれたモニュメントがあり、そこで記念写真を撮った。 「ヤッタ、ヤッタゾ~!」  ノールカップに到着したときのような達成感も感動もないのだけど、一応、これでユーラシア大陸横断を果たしたことになるので、とりあえずポーズを決めた。  ロシアのウラジオストックからここまで、実に1年2ヶ月余り、46200kmもかかっている。ツアーで走ったカソリさんたちは50日間、15000kmだから距離は3倍以上、時間は10倍もかかったことになる。いったい何してたの? とカソリックな方々は思うだろうけれど、私たちはロシアだけでなく中央アジアやコーカサスの国々へも行っているし、ノールカップへも足を伸ばしている。  お金はないけれど時間はあるので、それぞれの国をじっくり見て回っていたのである。というか、実際は単にのんびりしていただけ。キャンプしても昼間でラジオの日本語放送を聞いてダラダラ過ごし、70~80km/時でゆっくり走り、あちこち観光したりするから、時間がかかる。しかも夕方にはスーパーマーケットでいろいろ物色しながらの買い物タイム。ときには1時間以上も費やすこともある。健ちゃんが食事にこだわるタイプなので、材料選びにうるさいのだ。  その分、私たちの食事は毎回充実していた。ビーフシチューやクリームシチューもルーから作るし、牛丼や肉じゃがも作ってくれる。肉も500gくらいのパックを買って残せないから1度に食べるので、ボリュームもすごい。  そんな豪華な食事をしていたために、この1年余りで私はずいぶんと肥えてしまった。運動もあまりしていないし、旅の間、一度も体重計に乗っていない。乗るのが恐い。日本に一時帰国するまでに少しダイエットしないと、と思いつつも今日もしっかり食べてしまうのだった。あ~あ。

■ライダーの味方、キャンプ場(リスボン 10月3日~5日)

ポルトではあきらめたけど、リスボンでは絶対街中の宿に泊まるぞ! と固い決意のもとに、明るいうちに街に到着して安宿探しに奔走した。ポルトと違ってツーリストインフォメーションがそっけないし、ガイドブックの類もないから一軒一軒、自分で聞いてみるしかない。  街を歩いて聞いてみる。ペンションならツイン1泊25ユーロ(3000円くらい)で泊まれるけれど、そういう宿は決まって建物の2階以上にあった。つまり駐車場がない。公共の駐車場をあたると、立派な地下駐車場しか見当たらず、24時間で30ユーロ以上。しかもバイクも車も同じ値段という。これじゃ人間様よりずっと高いじゃないか! おかしいぞ!   ああ、もういいや。またしても郊外のキャンプ場へ行くことになった。あ~あ、またテントかあ。  そんな感じで落胆して行ったわりに、ここのキャンプ場はかなりGOODだったので気を取りなおす。テントサイトは広い木立の中の芝生で、敷地内にはカフェレストラン、バル、ミニスーパーまである。すぐそばには大きなショッピングセンターもあって、買い物にも便利。町まで遠いけれどバスで20分くらいだし、カナダ人ライダーなんかもいて話し相手もできて退屈しない。  いつでもどこでも、キャンプ場は私たちライダーの味方なのだった。ごめんね、浮気しようとして。

■やっぱりバルは最高!(10月9日~11日)

スペイン南部、アンダルシア地方はスペイン観光のハイライト。地理的にアフリカに近いため、アラブ統治時代の本拠地でもあったので、あちこちにアラブの影響が色濃く残っている。経済的には遅れているアンダルシアだけど、そうしたアラブの置き土産が現在では観光の目玉になっているのだから皮肉というか、よかったというか。  中でも「カルメン」の舞台であり闘牛やフラメンコの本場セビリア、メスキータのあるコルドバ、アルハンブラ宮殿のグラナダの3都市は絶対はずせないポイント。観光ツアーには必ずこの3つが入っている。そのほかにも白い家々が並ぶミハス、高級リゾートのコスタ・デル・ソルなどなど、アンダルシア地方には魅力的な観光地が目白押し。一面のオリーブ畑、夏には一面のひまわりも見られる。ほとんどの人が思い描く、イメージ通りのスペインがここアンダルシアにはあるのだ。  もちろん、そうした観光地だけではなく、アンダルシアの「バル」も必ず行くべし。というより、バルへ行かなくちゃスペインを旅したとはいえないくらい、スペインでは一般的なものなのである。  「バル」はカウンター主体の気軽な居酒屋で、スペインでは喫茶店感覚でみんな利用している。ビールやワインなどは1杯100円~、またタパスという小皿のつまみが頼めて、1皿1ユーロ(120円)くらいからと安い。軽い食事なら2、3皿頼めば充分だし、種類もたくさんあるし、店の人とも隣の人とも話しやすいから楽しい。  アンダルシアは特にバルが多くて、ビール1杯でつまみも付けてくれたりすることもしばしば。バルセロナではバルに失敗したけれど、ここではどこもはずれがないし、ボるようなこともないので安心だ。物価も安いし、ラテン的なノリもあって、親しみやすい。やっぱりアンダルシア、最高!

■初めてのシンガポール人ツーリスト

セビリアでは「ボデガ・デル・サンタクルス」というバルが私たちのお気に入りで、2泊の滞在中、3回も通った。ここでシンガポール人ツーリストのドミニクさんと夜遅くまで盛りあがった。カテドラルに近いこのバルはタパスの種類も多くてビールも1杯0.9ユーロと安いから、人気があっていつも込んでいる。  ドミニクさんは若く見えるけど、当年とって40歳、妻も子も置いての1ヶ月の自由旅行で今回はモロッコまで足を伸ばす予定。シンガポールでも1ヶ月の休暇はなかなか取れないそうだが、会社員でありながら彼はこれまでにも長期休暇をがんばって取得し、あちこち旅したとか。今まで同じシンガポール人の旅行者に会ったのはたったの2回。私もまだシンガポール人のバックパッカーと話すのは初めて。  最近は韓国をはじめ、台湾、香港などアジアのバックパッカーが増えているけれど、まだまだシンガポール人は珍しい。もちろん、国の人口が少ないせいもある。中国系の彼はいつも日本人と思われてしまうそうだ。私たちアジア人はだいたい自分の国の人を見分けられるけれど、欧米人から見ると同じに見えるのは仕方がない。  彼は私たちのバイクに興味を持ち、自分もそのうちバイクで旅したい! と言っていたので、近いうちにシンガポール初? の海外ツーリングライダーが登場するかもしれない。

■男の汗にはまいったど(セビリア 10月9日)

さて、フラメンコの本場でもあるセビリアでは、初日に早速フラメンコを見に行った。入り組んだ狭い路地が続くサンタクルス街にある有名なタブラオ(フラメンコを見せてくれる場所)は、200人くらいの観光客で満杯。ドリンク付きで1人27ユーロだから、1度のショーでかなりの儲けだよなあ。貧乏旅行者はどうでもいい計算をしてしまう。  フラメンコはもともとジプシーの踊りで、踊りとギター、歌の3つから成っている。たいてい踊りは華やかな衣装の女性、ギターは比較的若手でスリムな男性、カンテは貫禄のある男性という組み合わせになっている。独特な旋律のメロディを奏でるギターをバックにカンテの男性が情感たっぷりに歌い、それに合わせて眉に皺を寄せて悲痛な表情の女性ダンサーが踊るのが定番。ところが、踊り手が男性の場面もあり、男性ダンサーの踊りは女性に比べて動きが早い。タップダンスのように足を激しく鳴らすのは男女共通だけど、男性の場合は回転も加わるので、そのたびに汗が周囲に飛び散るのである。  一番前の席だった私たちは大変。女性の汗ならまだしも、男の汗はちょっと…。ドリンクにも汗が入ってもう飲めなくなってしまった。フラメンコ鑑賞は一番前の席は避けるべし。みなさん、参考にしてください。

■ユーラシアツーリングの終わり(マドリッド 10月17日~25日)

アンダルシアをあとに、今度は北上していよいよユーラシアツーリング最後の地、マドリッドへ向かう。街中には入らず、直接郊外にある「ハッピーライダー」を目指した。  ここはメカニックのホセと日本人の奥さん、香代さんと一緒にやっているレンタルバイク屋さん。3年前のツーリングのときには50ccのアプリリアを用意してもらい、スペイン、モロッコ、ポルトガルを2ヶ月かけて旅したのだった。 3年ぶりに会う娘の真理奈ちゃん、さらちゃんはそれぞれ5歳と3歳。幼児にしてすっかりスペイン語と日本語のバイリンガルになっていた。外国で育てば自然にバイリンガルになれるのかと思っていたけれど、お母さんの努力は大きい。母親と話すときは日本語、と決めているのだとか。子供の吸収能力ってすごいなあ。ちゃんと使い分けているのもすごい。  さらにびっくりしたのは、ホセの日本語が上達していたこと。自宅で毎日妻と娘の日本語を聞いているせいもあるだろうけど、日本人の客も多いので努力もしたんだろう、きっと。  私なんかは中途半端に覚えたロシア語と、ほとんど忘れかけのスペイン語がごっちゃになってしまっている。英語だってまったく進歩がないし。己の語学能力の低さを痛感する。っていうか、努力してないから仕方ないか。  私たちはここにバイクを預け、日本へ一時帰国をしたが、帰国までの数日間、ずっと日本人宿で日本のマンガを読んで過ごしてしまった。気が抜けたのだろうか、何をする気力も起きないのだ。  1ヶ月半の日本への一時帰国で充電し、今度はアフリカの旅が始まる。それなのに、頭に思い描くのは納豆、寿司、ラーメン、カツ丼、ああ居酒屋行きたい、など日本の食べ物のことばかり。まずはやっぱり日本食をたらふく食べよう! と思いながら10月25日、マドリッドを飛び立った。

余談だけど、今までさんざん飛行機を利用したけどJALを使うの今回が初めて。JALは最新の機体でスチュワーデスのサービスもよく、日本の雑誌や和食メニューもあって至極快適。さすが日本!

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