ぽこけん

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コンゴ 2003年5月30日~6月9日

コンゴ 2003年5月30日~6月9日

111_07_19211_07_19311_07_19■ドロドロの国境越えルート(国境→ニャンガ/5月30日)

ガボンからコンゴへ入ると、すぐに堀立て小屋があり、そこがポリスコントロールだった。ここで荷物をすべてチェックされる。ガボン最後の町、ンデンデからここまで50km弱、ほとんど車とすれ違わなかったしブッシュタクシーも見かけなかったので、国境を通る車なんて数日に1台いるかいないか。よほどヒマなんだろう。
約1時間かかって荷物チェックを終え、コンゴの道を走り出す。とにかくひどい、のひとこと。両側は背の高い草で覆われていて、鬱蒼としたレインフォレストの中、車1台がやっと通れるほどの幅しかない。しっかり草刈りされていたガボンと比べると、その差は歴然。路面も最悪。もう雨季は終わったはずなのに大きな水溜まりがいっぱい残っていて、ときには膝までの深さになっている。何箇所の水溜まりを越えただろう。そんな道を10km行った先の集落にポリスとミリタリー(ジャンダルメリ)のチェックがあり、ここでやっと入国スタンプをもらう。そこから先も水溜まりは続き、せっかくリーブルビルできれいに洗車してもらったバイクもドロだらけ。膝まで泥水に入ったので靴の中も泥まみれ。
こんな道なのに、ところどころ集落があり、歩いている人もけっこういる。こんなところでよく暮らしているなあ、と感心する。
泥だらけになりながらニャンガという村に到着。たった50kmに3時間余りかかった。ここでまたポリスにすべて荷物をチェックされる。もう、いいかげんにしてくれ!
疲れたので、この日はニャンガに泊まることにした。こんな村でも一応民宿があり、私たち以外にも宿泊客がいたのにも驚いた。首都ブラザビルから試験問題を作りにきている、という学校の先生たちだった。
宿はとてもベーシックで、もちろん電気も水道もない。汲みおきの水も十分にはなく、ドロドロの服は洗えないまま。この先、コンゴの旅はどうなるんだろう。

411_07_20511_07_20611_07_20■コンゴ奥地を行く(ニャンガ→ミラミラ/5月31日)

ニャンガから先の道路は未舗装ながら、幅も広く水溜まりもまったくないいい道だった。ニャンガの奥から木材を運ぶトラックが通るためらしく、太い丸太を積んだ大きなトラックが何台も通る。1台のトラックが私たちの脇に止まり、ドライバーが英語で話しかけてきた。彼はネパール人。私たちをすぐ日本人とわかってくれたのは、さすがアジア人。ア011_42_50フリカの人は東洋人はすべてシノワ(中国人)と思っているし、いくら説明しても中国と日本が違う国とわかってくれない。
こんなところでアジアの人に会うと、なんだかうれしい。この先、ミラミラという町に木材を扱う会社があるようで、マレーシアの人も働いている、と言っていた。
ミラミラはポイント・ノワールとブラザビルへの分岐点。ここでミリタリーの人に道路状況についてたずねると、ブラザビルまでの道路は、内戦のため現在通れない、という。ゲリラがいっぱいいて、危険だとのことだ。ブラザビルまで安全に行くためには、かなりの回り道をしなければならず、その道ももちろん舗装ではないし、地図にも載っていない道だ。
一方、ポイントノワールまでの道路は近年造られた新しい道で、ポイントノワールまでの200km、路面もいいという。ただし、ポイントノワールへ行くとブラザビルまで行けず、そうなるとザイール入国はあきらめることになる。せっかく高いお金でビザを取ったのに。
どうしようか。ガソリンもここでは手に入らないので、まず35km離れたマカバナという町まで闇ガソリンを買いに往復し、今日はミラミラに泊まって1晩考えることにした。
今日の宿は、きのうより更にベーシック。トイレはない(あっても汚いけど)し、井戸もないので、水は近くの川の水を使う。シャワーもその川で行水。ワイルドすぎる。ここは小さい村ながら重要な分岐点なので、バーもあるし小さな店や露店もあり、車を待っている人もいる。
BARでビールを飲んでいると、小さな男の子を連れたおじさんが話しかけてきた。さっきガソリンを入れたマカバナの町の人で、一番上の娘さんが3週間前に病気で亡くなり、それを報告するためにニャンガに住む母親に会いに行くのだ、とのこと。お金がないから薬も買えない、医者にも見せられない、どうしようもなかった、ここからニャンガまでも無料で乗せてくれる車を待っている、とのこと。
それを聞いて、1本800CFAもするビールを飲み、2500CFAの宿に泊まっているのが、それよりも旅のルートについて悩んでいることが、何だか申し分けなく思えた。コンゴのこんな田舎の村には電話さえないのだ。夜半に雨が降り出した。さっきの親子は無事に車に乗れただろうか。

711_07_21811_07_21911_07_21111_42_51■初めてツーリストに出会う(ミラミラ→ポイント・ノワール/6月1日)

昨夜雨が降ったこともあり、ブラザビル行きはやめてポイント・ノワールに向うことにした。丸3日間、ダートを走って疲れたことも理由だったけれど、手持ちのセーファーフランがブラザビルまで間に合うかどうか心配だった。何よりガソリンが1リットル130円と高い。コンゴの田舎では何もないので両替できるかどうかも不安だし、いいかげん泥だらけの服も洗ってすっきりしたかった。ここには汲み水もなく、川の水ですべての用を足さなければならないのだ。とりあえずはポイント・ノワールまで行って少し落ち着くことにしよう。
そんなわけで、ポイント・ノワールまで200km、「とてもよい」と言われた道路を行くことにした。たしかに多少のコルゲーションはあるけれど道幅も広く、国境付近の道に比べればとても走りやすい。雨が降ればヌタヌタだろうけれど、乾季に入ったので逆にホコリがひどい。ここはコンゴの奥地から切り出した丸太をポイント・ノワールまで運ぶトラックのために開かれた道路のようだ。
70kmほど進むと、1台の自転車を発見。カメルーンのヤウンデで1ヶ月前に別れたドイツ人のピーターだった。バイクでもきついのに、よくも自転車で越えてきたもんだ。「サハラよりきつい」と言っていたが、まったく同感。ツーリストもいないし、正確な情報もなければ地図さえあてにならない。アフリカでも一番の難所かもしれない。お互い無事の再会を喜び、ポイント・ノワールで2、3日後にまた再会を約束した。
しばらく行くと、今度は向こうから1台のバイクがやってきた。XT600に40リットルのビッグタンク、アルミノサイドボックスという典型的なスタイル。ドイツ人のステファンだった。彼はピーターの知り合いで、ポイントノワールに2ヶ月滞在していたが、ザイールのビザが取れないので、ブラザビルまで行ってビザを取り、陸路で南下するという。2ヶ月もポイントノワールに居たのは、なんとコンゴ人女性と結婚したからだとか。ステファンは今回で3回目のアフリカバイクツーリング。アフリカにどっぷりはまってしまっているようだ。

■舗装路はどこへ行った?(ポイントノワール/6月1日)

ステファンと別れ、さらに行くと深いダストの道がしばらく続いた。いい道のはずじゃなかったの? でもミシュランの地図によると、もうすぐ舗装路。あと少しのしんぼうだ、と言い聞かせて走る。もうダートはこりごり。早く快適な舗装を走りたいものだ。
ところが、その舗装はひどいものだった。何年か前はちゃんと舗装だったのだろうが、内戦の影響か、今は大きな穴だらけだったり、舗装が剥げて真ん中しか残ってなかったり。車は結局両脇の深い砂の中を走るので、あちこちでスタックしている。これならまだ全面ダートのほうがよっぽど走りやすい。
また、みんな車線など関係なく走りやすいところを選んで走るので交通ルールはめちゃくちゃ。いい道のはずなんじゃないの? 幸い交通量が少ないから事故にはならないのだろう。実際、公共の交通機関もほとんどなく、コンゴでは陸路での移動はほぼ不可能。ポイント・ノワールからブラザビルまで、以前は列車もあったそうだけど、現在は寸断されている。結局飛行機でしか移動できないようだ。
すごい国へ来てしまった。どうしよう。でも、もうすぐポイント・ノワール。大きな町のようだし、水も充分使えてさっぱりできるだろう。早く落ち着きたい。

1011_07_221111_07_22■ポイント・ノワールにて(ポイントノワール/6月1~9日)

ポイント・ノワールは大西洋に面した港町。ここのヨットクラブで無料でテントを張らせてもらえた。ヨットクラブは在住している外国人のための施設らしく、ジェットスキーやボート、ヨットなどが保管されていて、週末ともなるとファミリーでここへやってきて遊んで行く人々も多い。デッキになったバーもあって、ビール1本1300CFA(260円・普通は500CFA)もする高級なクラブ。私たちに提供されたスペースは、卓球台のあるコーナーで、屋根もあって電気も付く。水だけどシャワーもある。よかった、これで洗濯もできる。
2日後、無事にピーターがポイントノワールに到着した。彼はカトリックミッションに泊まることにしたそうだ。10数年前にもコンゴに来たことのあるピーターによると、その頃は、今よりちゃんとしていた、という。道路ももっとしっかりしていて、ガボンからの道もトラックで問題なく通れた、とのことだ。物価ももっと高く、フランス人もいっぱい住んでいてリッチな国だった、との話だが…。物価は依然高い(スーパーマーケットはフランス系で、すべて輸入品。日本なみの物価)けれど、水や電気の供給が一部制限されていた。
それでも、田舎とここの格差はすごい。陸路での移動が大変なので、お金がない田舎の人は町へ出ることはほとんどない。一方、都会にはインターネットカフェもあり、スーパーマーケットがあり、一応何でもある。この差はますます大きくなっていくんだろう。
311_42_51■ステファンが戻ってきた(ポイントノワール/6月5日)

さらに2日後、ブラザビルへ向ったはずのステファンが戻ってきた。バイクはドロドロ。どうしたんだろう、と思ったら、結局ブラザビルへは行けなかったと言う。ブラザビルへのメイン道路は、途中からジャングルになっていて通行不能だったので、ミリタリーに教えてもらった回り道へ行くと、今度は2日間雨に降られ、深いダストの道がドロドロ。5kmごとにタイヤに詰まった泥を落とさなければ進めない状態だったので、仕方なく戻ってきたところだった。回り道は雨さえ降っていなければ大丈夫だろうとのこと。ただし、メイン道路は「JUST FOREST」。首都ブラザビルと第2の都市ポイント・ノワールを結ぶ道路で、地図にも一部舗装された立派な道になっているというのに。
どうも、この道はもう何年も誰も通っていないらしい。国境のポリスで聞いたときもこの道は「大丈夫だ、通れる」、と言われたし、ある村でも「戦争は終わったからブラザビルまで問題なく行ける」と言っていた。でも、実際にこの道を通った人は誰もいないようだった。かつては舗装路だったのに、もう自然に戻ってしまったのだ。
ガボンからコンゴの首都ブラザビルへ向うなら、ガボンのフランスビル経由で東の国境を通らなければいけなかったのだ。でも、それもマトモなルートではない。
とにかく、私たちはポイントノワールに来てしまっていて、ステファンも、ピーターも、私達も、アンゴラビザはシングルエントリーしかない。ここから陸路でアンゴラの飛び地、カビンダへ行き、そこから首都ルアンダ行きのフェリーを探すしか先へ進む道はなくなった。
ポイント・ノワールの、たった4人のツーリストは互いに情報を交換しながらカビンダでの再会を約束し、それぞれに出発したのだった。

 

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