ぽこけん

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カメルーン 2003年4月12日~5月23日

カメルーン 2003年4月12日~5月23日

012_37_40112_37_40212_37_41■北カメルーンのダートを行く(北部カメルーン/4月12~15日)

ナイジェリア国境からカメルーンの国境事務所までは荒れたダートを2~3km行く。イミグレのある村は意外に大きく、ここでナイジェリアのお金をカメルーンのお金に両替してもらった。普通、ナイジェリアのお金は国外では両替できないか、レートが悪いと決まっているのに、ここではいいレートで両替してくれた。ナイジェリア国境の田舎にあるこの村では、カメルーンの町へ出るよりも、ナイジェリアの町のほうが近くて交通の便もいいので、ナイジェリアのお金が必要なのだ。実際、ここからカメルーン最初の町、ガルーアまで出るのに、埃だらけのダートの道を100km以上も走らなければならなかった。  ガルーアからンガンデレまでは舗装路だった。そのンガンデレに泊まったとき、すごい嵐に遭った。夕方から夜にかけての3~4時間、ものすごい雷に加え大量の雨が降り、しばらく食堂から出られなかった。雨は夜中にも降りだして朝方まで降り続いた。これから雨季が始まるんだろうか。なんだか憂鬱になる。  ンガンデレからもまたまた未舗装。雨季になるとドロドロになりそうな赤土の道が延々と続く。コルゲーションもひどいが、しばらくは標高1000m前後の見晴らしのいい高原台地で、バナナやヤシの木が生える広大なジャングルを展望しながら気分よく走れる。熱帯とはいえ風も涼しくて過ごしやすい気候だ。マグバという町でいったん標高が下がるととたんに暑くなり、赤道に近いのを実感する。道はまた標高を上げていき、また涼しくなった。

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■「7つの丘の街」ヤウンデ(ヤウンデ/4月16日)

ダートが終わると、打って変わって快適な舗装路が現われた。道路の両脇はずっとトロピカルな熱帯雨林が続き、鬱蒼としたジャングルの果てに首都ヤウンデがあった。いくつもの丘に囲まれた起伏の多い地形で、標高650~1200mに位置しているので赤道近くとはいえ涼しくて過ごしやすい。1年中雨が多いので緑が濃く、バナナやパパイヤの木があちこちに自生している。160万人が住む首都のわりには落ち着いた雰囲気なのは緑が多いせいかもしれない。  ヤウンデではミッション・プロテスタントに落ち着いた。ここはキリスト教の教会が経営する宿で、「ロンリープラネット」(英語のガイドブック)でも最初に紹介されているためか、旅人が集まってくる。私たちのほかにBMWで旅するイギリス人のカール、自転車ツーリストのドイツ人ピーターも滞在していた。2人ともこれからガボン、コンゴ、コンゴ民主(旧ザイール)、アンゴラ、ナミビアと私たちと同じルートを行く予定だという。  ツーリストの多い西アフリカと違って、カメルーンまで来る人は少ないし長期の旅人が多い。また、この先の国々のビザを取るためにヤウンデで長居をする傾向にある。長く居れば話す機会も多いし、ここの宿のアットホームな雰囲気も手伝って、彼らとはすぐに親しくなった。

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■病気に倒れる(ヤウンデ/4月19~20日)

ヤウンデに到着して3日後、健ちゃんが40℃の高熱を出し寝込んでしまった。ちょうどイースターの連休ということもあり、病院はどこも休み。何とか病院を紹介してもらおうと日本大使館に連絡すると、日曜日にもかかわらず大使館の専属医務官を呼んでくれて、大使館で診察してくれることになった。一介の旅行者のためにドクターを呼びだしてくれるなんて思ってもみなかったので恐縮してしまう。医務官は大使館員やその家族のためのドクターなので、普通一般旅行者を看てくれることなんてないはず。いいのだろうか?  ドクターは金井先生という30代の女性で、同じ医師のダンナ様を日本に置いての単身赴任。学生時代にヨーロッパを1人旅した経験があり、私たちのような旅行者にも理解があるし、同年代ということもあって親しみが持てた。  金井先生はまずマラリア検査をしてくれたが、結果はネガティブ。ただし予防薬を飲んでいると、ネガティブに出てしまうこともあるらしい。マラリアの場合は発症して4日以内に治療薬を飲まないと脳性マラリアに移行してしまい死亡率も高くなるとのことで、とりあえずマラリアの薬を飲む。  健ちゃんの熱は5日間ほど続いたが、その間に私も熱が出てしまった。私もやっぱり血液検査ではマラリアではないという結果。いったい何だろう?  金井先生の紹介でドイツ大使館のドクター・クリップナーに看て貰うと、今度はデング熱が陽性になっているとの結果。さらに市内にあるパスツール研究所での血液検査でA型肝炎と判明。でも、デング熱とA型肝炎が併発、というのはとても珍しいケースらしく、クリップナー先生が学会に報告するかもしれない、とのこと。恐ろしげな名前だけど、どちらもウィルスに汚染された食べ物や水が原因の病気。どこで感染したんだろう、と思い返してみると、潜伏期間から考えてマリのドゴン村あたりが怪しい。どこも水道がなく、瓶の中の汲み水をガブガブ飲んでいたので、あれがいけなかったのかもしれない。(結局、再検査でデング熱は陰性だったことが判明した)。

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■親切な日本大使館(ヤウンデ/4月20日~5月20日)

ドクターの金井先生だけでなく、最初に日本大使館を訪問したときに応対してくれた足立さんも親切だったし、びっくりしたのは大使が自ら私たちの泊まっている安宿にお見舞いに来てくれたことだ。しかもおにぎりなどの日本食も持ってきてくれて、感謝、感激。 「私たち大使館の人間と違って、旅行者の人たちのほうがその国の本来の姿を見聞きしてきているから、話を聞くのがおもしろいんですよ」とおっしゃる。  その後も大使公邸に招いてくれたり、市内を車で案内してくれたり、と恐縮してしまうことしきり。  大使といえば、普通なら恐れ多くて近づけない存在。大使館によっては大使館員でも滅多に顔を会わせることがないというくらいなのに。ツーリストが滅多に来ないカメルーンという国だから、という理由もあろうが、国枝大使の人柄だろう。えらそうなそぶりはまったくない。  日本大使館といえば、どちらかというと、在住の商社マンや日本からの関係者の接待を重視して、個人旅行者には冷たい態度というのが普通。訪ねて行っても現地職員しか出てきてくれなかったり、 出てきても迷惑をかけてくれるな、といわんばかりの態度がありありと感じられることが多いのだけど、カメルーンの場合はまったくそんなことはなかった。おかげで1ヶ月ほどで病気も完治し、無事に再出発することができたのだった。日本大使館の皆さん、ありがとうございました。

1012_37_441112_37_441212_37_44 ■強盗だ! (ヤウンデ/4月25日)

私たちがヤウンデで滞在していたミッション・プロテスタントは広い芝生の中にあって、周囲には教会関係の建物や一般の家が点在している。どこも囲いはなくオープンな雰囲気。裏口のところにはテーブルも置かれ、いつも誰かが座っていたし、みんな夕食もそこで食べていた。夜にはときどきホタルも出てきたりして、私たちのお気に入りのスペースだった。  その晩も健ちゃん、日本人旅行者のM氏、オランダ人ライダーのメインデル、フランス人のファサドの4人が庭で食事しているところへ(私は具合が悪く部屋で寝ていた)、銃とナイフを持った2人組の強盗がやってきた。彼らは 「金を出せ!」 と大声を出し、まず日本人ツーリストM氏の頭をなぐって流血させてから、健ちゃんのポケットをまさぐった。ところが、タバコしかなかったので、メインデルが次のターゲットになった。メインデルはズボンをズタズタに切られながらも頑張って抵抗していたのに、ファサドはいち早く宿の中へ逃げてしまっていたし、 健ちゃんは逃げることもせずに事件の一部始終をボーっと見ていたそうだ。  一方、宿の娘ステファニーは機転をきかせて、大声で叫びながらポリスを呼びに走ったため、周囲の家の人達も次々に出てきたので強盗は逃げて行ったが、彼らは中年で足も遅く、1人は宿の息子ジェフに捕まり、警察に引き渡された。  それにしてもマヌケな強盗だ。ツーリスト御用達の腹巻き貴重品入れの存在を知らずに、みんなのポケットだけしか探らなかったため、被害はメインデルが持っていた600CFA($1)とメインデルのズボン、M氏の頭の怪我(2針縫った)だけ。M氏などは腹巻に全財産を持っていたというのに。まあ、それで難を逃れたから不幸中の幸いといったところか。私としては現場に居合わせることができなくてちょっと残念。それよりも、その事件以来、庭のテーブルは取り払われ、食事は中でしか食べられなくなったのが何よりも残念だった。

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