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ウズベキスタン・トルクメニスタン 2001年10月1日~11月3日

ウズベキスタン・トルクメニスタン 2001年10月1日~11月3日

■ウズベキスタン 明るく豊かなフェルガナ盆地

ウズベキスタンの東南部、フェルガナ盆地はキルギス南部に食い込んだ飛び地のようになっていて、キルギスのオシュ周辺やタジキスタン北部とのつながりが深い。とはいえ、山がちなキルギスと違って暖かく、一面の広い平野に綿花畑がどこまでも広がっている。 町も多く、車も人の往来もキルギスに比べて格段に多くて活気がある感じ。人々の顔つきも違う。キルギス人は日本人に似たモンゴロイド系が多かったのに、ウズベク人(このあたりはタジク人)は彫りが深く浅黒い顔立ち。性格も人懐こい感じで、バイクを止めているとみんな寄ってきて質問攻めにあう。キルギス人はこっちがロシア語で挨拶すれば、ほっとした様子で話してくるけど、どちらかというとシャイな人が多かった。ウズベク人はウズベク語で次々に話し掛けてくる。ロシア語にも苦労してるのに、ウズベク語なんてまったくわかんないよー!

■好奇心と親切には困りもの

フェルガナ盆地のはずれ、コーカンという町に入ると、DAEWOO(※1)の軽自動車に乗った人が頼んでもいないのに、ガソリンスタンドやホテルへ案内してくれた。どうも親切すぎるなあ、といぶかっていたら、身分証明書を見せて、自分はポリスだから安心だ、と言う。彼のお父さんがこの町の警察の実力者でもあるらしい。私たち以外の人に対して威圧的に振舞っているのが気になった。いろいろ面倒みてくれるのはありがたいけど、部屋まで入ってきて、これから家へ来い、としつこい。なんとか断って帰ってもらった。 親切というより、自分は日本人と親しいのだ、ということを誇示したい気持ちも多分にあるのがわかる。  お招きはありがたいけど、毎日続くと疲れる。そうでなくても毎日好奇心いっぱいの人々に囲まれるので、ホテルに着いたらリラックスしたい、というのが本音だ。  旅暮らしも3ケ月、そろそろ疲れてきてるのかも。

(※1)ウズベキスタンには現地生産のDAEWOO(デーウー:韓国の自動車メーカー)の車がたくさん走っている。NEXIA、軽1BOXのDAMAS、軽自動車のTicoの3種類が多い。

■大都会タシケント

首都タシケントへは2500mのカムチック峠越えルート1本だけで、途中に町もなく、荒涼とした風景が続く。道路は広くて走りやすいけど、ポリスの検問が何箇所もあって、そのたびに車が渋滞しているので時間がかかって仕方ない。  それでもようやくタシケントに到着し、ハドラ・ホテルという安宿に落ち着いた。かなり古くて汚いが、1人$3弱という安さで、バイクもロビーに入れてくれたので安心。  タシケントは人口200万人を越える大都会。中央アジアで唯一、地下鉄も通っている。旧市街も残り、イスラム風建築もあるが、新市街は、ばかでかい公園や殺風景な建物が多く、「やっぱりここもソ連邦だったんだ」と実感する。

■「青の都」サマルカンドへ!

さて、次はいよいよシルクロードのオアシス、サマルカンドへ向かう。  ここは青いタイルを使ったモスクやマドラサ(神学校)が多く、「青の都」と称される中央アジア随一の観光地。普通、中央アジアと聞いてまず最初にイメージするのは、ここサマルカンドだろう。 私たちもワクワク! 写真どおりのレギスタン広場に着き、青いタイル、水色の丸いドームを目の前にしたときは、 「ああ、やっとシルクロードに来たんだ!」 と思わず感涙!   旧市街にあるB&B(※)にチェックインする。お湯の出るシャワー、清潔な水洗トイレ、快適な部屋、中庭でお茶を飲み、同じツーリストと英語で旅の話をし、観光名所で写真を撮る...。あたりまえの旅の日常だけど、今までロシア、カザフススタン、キルギスではほとんどなかった。ああ、うれしい。

※サマルカンド、ブハラなどウズベキスタンの観光地には、欧米人ツーリスト向けの個人経営の民宿がいくつかある。1人$10~(朝食付)。

■ブハラのファティマおばさん

サマルカンドから西へ280km、ブハラの町は旧市街全体がユネスコの世界遺産に登録されている。ここにも青くて丸い屋根の建物がたくさんある。旧市街のB&Bへ。この主人は、小錦の妹みたいなファティマおばさん。優しくて料理上手なので、ツーリストに人気がある。夏は毎日のように満室だったし、去年の秋はもっとツーリストが多かったのに、今年は 「同時多発テロ事件」のせいで、少なくなったとため息をついていた。今日もフランス人1人と私たちだけ。観光業で生計を立てている人にとっては大打撃だ。  旧市街のみやげ物屋も客がいなくて、かわいそうな感じ。私たちが通る度に声をかけてくるが、そのうち上客でないのがわかってか、あまり声をかけてこなくなった。  アフガニスタンと接するウズベキスタンは危険だとされているが、住民はいたってのんびり構えているし、町も平和そのもの。今のところ隣国の直接的な影響はないけど、間接的にはすでに大きく影響しているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■世界遺産の町、ヒヴァ <利用価値の高いタクシー>

サマルカンド、ブハラと並び、シルクロード観光でははずせない町、ヒヴァ。キジルクム砂漠を500kmほど西へ行った先にある。往復しなければならないので、ここへはタクシーで行くことにした。なんと$35という安さ。いいのだろうか? とも思ったが、帰りは別なツーリスト2人を乗せて戻っていた。往復すればまあまあのもうけになる。こちらにとってもバスより快適でかつ3時間以上も早いタクシー(※)は利用価値が高い。

<ツーリストは2人だけ?>   ここ、ヒヴァはブハラよりさらにツーリストが少なかった。欧米人のグループ1組を見かけただけで、個人旅行者は私たち2人だけ。他はみんな観光客相手の土産者売りだったり、タクシー屋だったり。ツーリストがいないので、集中攻撃を受けるのだ。  また、見どころの集まっている旧市街は城壁に囲まれているため、その中の宿に泊まっている私たちは、なんだか籠の鳥のよう。どうにも居心地が悪かった。青いタイルの建物にそろそろ食傷気味でもあったせいもあって、観光にも身が入らなかった。

※ウズベキスタンでは、普通の車もタクシーのように客を乗せている。いわゆる白タクが公然と行われていて、バスターミナルで待ち構えている。街中でも同様。手を挙げれば止まってくれる。

■再びタシケント

友人の訃報  バイクをブハラの宿に預け、2週間ぶりにタシケントに戻る。トルクメニスタンのビザ取得のためのインビテーションがそろそろ旅行会社に届いている、はず。アゼルバイジャン、グルジアとビザがそろえば、また出発できるのだが、中央アジアはどこも面倒くさい。特にトルクメニスタンは大変なのだ。  快適なB&Bから汚いハドラホテルに逆戻りするのはイヤだが仕方ない。あ~あ。

インターネットカフェへ行くと、かねてからガンで入院中だった「熊さん」こと熊本雅喜さんという友人が亡くなった、というメールが届いていた。喉頭ガンだった。異国で聞く友人の死は、なぜか現実感がうすい。元気だった頃の姿しか目に浮かばない。  訃報を聞いた翌日、タシケントでは滅多に降らない雨が1日中続いた。

それにしても、ツーリストの姿はほとんど見ない。昨日まで同じホテルに居たフランス人カップルも出国してしまったし、ウズベキスタン全体で私たち2人だけなんじゃないか、という気もしてくる。  私たちも、ようやくトルクメニスタンのビザを取得し、10月25日には出国予定。

 

■トルクメニスタン 外国人はいいカモなのだ

ウズベキスタン出国とトルクメニスタン入国のイミグレは1kmくらい離れている。国境を越えるバスはなく、車のない人はこの間を歩いている。隣国だというのに、あまり仲がよくない感じ。  アフガニスタンの問題や、この国のビザ取得の難しさもあって、ツーリストは他にいない。入国そのものは荷物検査もなく厳しくないが、時間がかかるし、外国人が車両を持ち込むのに、法外な料金を課していて、バイクでもたった2週間の滞在で1台$94も取られた! ウズベキスタンまではまったくお金は必要がなかったのに、どうして?  さらに、その先で橋の通行料だと言ってバイク1台$5+80000Tm(計、約$9)払え、と言ってきた。イラン人のトラックドライバーは$80も払っていた。地元の人は$1.5なのに、外国人だけ、しかもドル払いを要求される。しばらく抵抗してみるものの、やっぱり外国人は払わなくてはならないようだ。  ああ、どんどんドルがなくなっていく。どうしてこんなに払わなければならないの?

■ポリスは意外に親切だった

夜8時頃、チャルジョウという町へ向かう。  なんとかホテルを見つけるが、なんと外国人は1泊$60! 大したところではないのに、信じられない値段! 絶対こんなところには泊まらないぞ! 町の人に安いホテルを訪ねると、家に泊まっていけ、と何度か誘われる。こっちの人はみんな気さくだ。  ポリスにも聞いてみると、親切にも地元の人が泊まるメイマンカナを探してくれて、さらにバイクをロビーに置かせてくれるように交渉してくれた。トルクメニスタンのポリスは評判が悪かったけど、こんなに親切な人もいるんだ、とうれしかった。ただし、メイマンカナは外国人料金でツイン$15も取られたが(地元の人は$3くらい)。同じ宿にはスポーツ関係の仕事で来ている、というキルギス人がいて、いろいろ面倒を見てくれた。国境で散財したけれど、意外といい国だ。ガソリンが1㍑400Tm(2円強)と異様に安いのもびっくり。だから法外な通行税を取るのかも。

■ラクダ天国ガラグム砂漠を行く

トルクメニスタンはほとんど砂漠。町と町の間は荒涼とした風景で、放牧されているのか、ラクダがあちこちにいる。途中にポリスチェックが何度もあり、その度にパスポートとバイクの書類をチェックされる。  チャルジョウから1時間ほど走った砂漠の真中に、一軒の食堂があったので寄ってみた。2人で$1もしないという地元料金だし、お店の人も感じがいい。  「ツーリストには何か書いてもらっている」と1冊のノートを持って来たので見てみると、日本人のものもあった。朝日新聞取材班の他に、自転車の人もいた。日付を見たら1989年。まだソ連邦時代に自転車でこんな国を通った人もいたんだ、と感慨深くなった。さすがに最近のものはごく少ない。もともとツーリストが少ないうえに、ここに来れるのは車やバイク、自転車の人だけ。私たちも何年後かの日本人ツーリストに向けて日本語でメッセージを残しておいた。

 

 

 

 

 

 

 

■首都アシュガバード

10月末の砂漠は意外に寒い。雨はほとんど降らないはずが、曇っていたり小雨がパラついていたり、風が強かったり。持っている衣類を着こんでなんとか寒さをしのぐ。  アシュガバードでは、インビテーション(招待状)を作ってくれた旅行会社に行って、手数料を払い、さらに外国人登録を依頼しなければならない。まったく中央アジアは面倒だ。しかも、レギストラーツァ(外国人登録)のために政府登録のホテルの宿泊証明が必要だという。せっかく安い民宿にいるのに。仕方なく一番安いというホテルに1泊分、ツイン$20を払って証明書だけ書いてもらった。なんだかおかしいぞ。  理不尽なお金を払わされるたびに、「もうこんな国に来てやるもんか!」と思う我々だった。  ちなみに、ビザや外国人登録など、トルクメニスタン入国のために使ったお金は2人で計$500弱。これは高すぎる。

■カリスマ大統領、テュルクメンバシュ

トルクメニスタンはまるで「中央アジアの北朝鮮」。 「テュルクメンバシュ」という名前も「トルクメニスタンの首領」という意味で、自らそう名乗っているらしい。  ソラマメのような下膨れの顔に太い眉、62歳とは思えない黒々した髪の毛。東洋人ぽい温厚な顔つき、少し太めの体型。アシュガバードの街中には、そんな大統領の肖像がこれでもか、とばかりにあふれている。デパートの看板、会社のロゴマーク、商品のCM、さらに、街の中心の塔には黄金の大統領の像まである。紙幣やコインもすべて大統領の図柄だし、教科書にも、ウォッカのラベルにも登場している。万が一大統領が変わったら、これらは一体どうなっちゃうの?   さらに独立10周年記念日のすぐあとだったので、TVでは独立記念のパレードの様子が何度も再放送されている。戦車やミサイルの行進を満足気に眺める大統領の様子、大統領に踊りや歌を披露する子供たち、どれもこれもわざとらしい大統領賛美の内容で、見ているこちらはうんざりしてくる。大統領の歌まである、と民宿の子供たちが歌ってくれた。  トルクメニスタンにいると、どんどん洗脳されていく感じ。おそろしや。  そういえば、チャルジョウの町の名も、最近、大統領の名前にちなんだ「テュルクメンバード」に変わっていた。

■カスピ海を渡る

ガラグム砂漠をひたすら西へ西へと走ると、カスピ海沿岸の町、テュルクメンバシュにたどり着く。この町の名称も、あのカリスマ大統領テュルクメンバシュが自分の名前に変えてしまったのだ。  ここからアゼルバイジャンの首都バクーへのフェリーは週1便と聞いていたのだが、運良く今日出港するという。人間$45、バイク$22、もちろんここでも外国人料金のドル払いだ。  船長に何時に出航か聞いてみるが、荷物が積み終わったら出る、といいかげんな調子。結局、夜中の2時頃、船の大きさにしては少なすぎる数名程のお客を乗せて、バクー目指して出港してくれた。  国際航路のフェリーにしてはあまりにもお粗末、売店もなければ、レストランも無い。翌日、お腹がすいたのだけれど、、、と船員に相談すると、困った人達だねというような目で私達を見て、じゃがいもを炒めてくれた。それだけの料理で$3も取られた。ああ、日本のフェリーの自動販売機が懐かしい。船員達はしっかり食料を持参しているようで、ひもじい思いをしているのは私達だけのようだ。  16時間かかって、ようやくバクー港に到着した。  やった、これで中央アジアともおさらばだ。

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