ぽこけん

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アンゴラ 2003年6月9日~22日

アンゴラ 2003年6月9日~22日

1812_07_18112_07_13012_07_12■激動のアンゴラ初日(カビンダ/2003年6月9日)
コンゴと陸続きのカビンダは、アンゴラの飛び地になっている。私たちはカビンダからアンゴラの首都、ルアンダ行きのフェリーに乗り込むべく、ポイントノワールを出発した。いよいよ、秘境(?)アンゴラなのだ。
ポイント・ノワールから30km、国境にドイツ人サイクリストのピーターがいた。渋い顔をしている。何でかというと、「15000CFAも払わされた」そうだ。コンゴを出国するのに15000CFA(3000円)もするなんて高すぎる。でも私たちも同じだけ払う羽目になった。高すぎるが入国時にカルネを使っていないから、もし通関のことで突っ込まれたらやぶへびだし、仕方ない。
逆にアンゴラ入国はいたってスムーズ。賄賂も手数料も必要なし。よかった。ピーターと一緒に食事をしてから別れて先へ進む。地図では舗装路のはずだが、ひどいダート。かつての舗装路は見るも無残な姿に変わり果てていた。次の町、カコンゴの少し前からマトモな道になり、カビンダには午後3時頃に到着した。
カコンゴという町のミッションカトリックで泊まろうと思ったが、ここにはツーリスト用の部屋はないけれど、50km先のカビンダのミッションで泊まれるという。パドレ(神父さん)がカビンダのミッションの「パドレ・セウー」宛てにわざわざ手紙を書いてくれた。これで安心だ。
カビンダに着き、街の中心にある教会でミッション・カトリックの場所を聞くと、海のほうの教会を教えてくれる。5kmほど離れたそこへ行って手紙を見せると、今度は別な何かの書類が必要、という。よくわからないがとにかく私たちは「パドレ・セウー」と会わなければならないらしい。その「パドレ・セウー」を探すこと4時間、街をあっちこっちしながらやっとその代理の人に手紙をもらった。今度は「パドレ・コンゴ」宛てになっている。ミッションの責任者らしい。これでもう大丈夫だろう、と夜7時、ミッションへ行くともう真っ暗。キッチンで働いているおじさんに言うと、「パドレ・コンゴ」は夜の9時に戻ってくる、という。仕方なくあと2時間、ローカル食堂で夕食を食べることにした。
そこで隣のテーブルに居たペドロさん、コスペロさんらと親しくなった。ペドロさんはアメリカ系のオイルカンパニーに勤めているらしい。コスペロさんもオイル関係のエンジニアだそうだ。2人とも旧ソ連の国に留学していたという。彼らが私たちにビールをおごってくれた。アフリカでぼられたりねだられたりすることは何度もあったけれど、おごられた経験なんてあまりない。彼らはきっとリッチなんだろう。実際、ペドロさんの家はとても立派で、周辺の家もみんな大きい。みんなアメリカの企業が従業員のために提供している家だそうだ。3ベッドルームにキッチン、広いリビングには大型カラーTVもある。奥さんは欧米人でやっぱり仕事を持っているので、おそらく普通のアンゴラ人よりずっとお金持ちだ。アンゴラ、思ったよりちゃんとした国かもしれないぞ。
ペドロさんと一緒にミッションへ行くと、今度は「パドレはもう寝てしまった」とのこと。それでスタッフが私たちを何とかしてくれるわけではない。ひどすぎる。ホテルも満室だし、どうしろ、というのだ。何度もこうして来ているのに、彼らは何もしてくれない。「庭にキャンプさせろ」と言うと、シブシブOKしたが、指定した場所は照明の当たらない暗い場所。とにかく迷惑そう。
スタッフとは対象的に、コスペロさんは外国からのツーリストをこんなところに泊められない、と「家に
泊まれ」としきりに言うので、その言葉に甘えることになった。明日の朝、またミッションにくればパドレに会えるだろう。
コスペロさんの家は、さっきのレストランのすぐ裏。外見は大した家ではないけれど、中には大きなソファセットとカラーTVが2台もある。奥さんはロシア人のナターシャ。まだソ連時代、コスペロさんがアゼルバイジャンのバクーに留学していたときに知り合って結婚したそうだ。
さっきのペドロさんもカザフスタンに居たことがあってロシア語が話せたし、他にも何人かロシア語ができるという人に出会った。こんなところでロシア語を聞くとはびっくりした。旧ソ連も内戦に介入していたので交流があったのだろう。
全然情報もなく、未知の国だったアンゴラ。初日から大変だったけど、なんだかおもしろそう。

712_07_15212_07_13312_07_13■アンゴラ本土への船を探す(カビンダ/2003年6月11~12日)

翌日、ミッションへ行くと、「もうパドレはミサに行ってしまった」という。お昼ごろには戻ってくる、と今度は他の若いパドレがそれまで待つようにソファをすすめてくれた。でも、私たちはもうこれ以上無駄な時間を過ごしたくないので、港へ行ってフェリーの情報を聞くことにした。  大荷物を付けたまま港へ行くと、「ルアンダ行きの船はもうなくなった」と言われる。今はアンゴラ本土北端のSOYOという町までしか運航されていないらしい。その船が明日の朝6時に出航するという。船はSOYOとカビンダを1日おきに往復しているようだ。ドイツ人情報によると、カビンダからルアンダのフェリーは毎週金曜日、とのことだったし、ポイントノワールのアンゴラ領事館にいたおばちゃんも「ルアンダへのフェリーは毎日出ている」と言ってたのに、全然違っている。  いずれにしても私たちはその船に乗るしかないので、チケットを買いに2kmほど離れた「GIRACAB」という船会社のオフィスへ行く。バイク2台だというと「バイクを乗せるスペースはあるが、どうやって乗せるのかが問題だ」との話。とにかく、今日の午後にSOYOからその船が来るから、実際に見てから決めてくれ、と言われる。   船会社にいると、ピーターがやってきた。続いて偶然にもドイツ人ライダーのステファンも追いついてきた。みんなポイントノワールにいた仲間で、コンゴからここまで、私たち含めて4人しかツーリストはいなかった。みんなで船や宿をどうしようか相談していると、TV局の車がやってきて、我々4人は突然インタビューされてしまう。そのうち人がワラワラと取り囲み、すごい騒ぎになってしまった。それよりも、私たちは早く宿を探したいし、船を予約したいのに。  宿は英語のできる人がミッション・プロテスタントを教えてくれ、そこへ行ってみると港からそれほど離れていない。建物も古くてカトリック教会より貧しそうだったけど、こちらのほうが親切で、とにかく場所を提供してくれた。これで今夜の寝床は確保できた、よかった。  それでも、まだ船のほうの問題が残っている。港へ行って船を見てみると、桟橋から船へは人間用の小さな梯子しかない。バイクは無理そうだ。どうしようかとみんなで悩んでいたら、港で働くカブラさんがクレーン会社の人に話を付けてくれて、1台$10で積んでくれることに決まった。どうなることかと思ったけれど、何とかなるもんだ。  あとは明日の出航を待つばかり。これで安心して眠れるはず。ところがミッションの隙間だらけの部屋には蚊がいっぱいで安眠できなかった。

412_07_14512_07_14612_07_14■船は超スローペースだったのだ(カビンダ→ソヨ/2003年6月12日)

翌朝、港に6時に行くと、私たちだけしか来ていない。船のスタッフにはブルガリア人のおじさんが1人いた。半年前からここで働いているらしい。なんでまたアンゴラに来ているんだろう。これも内戦の影響かもしれない。おじさんは私たちにコーヒーをごちそうしてくれた。いつも腹ペコのピーターは「俺たちのために朝食も用意してくれるはずだ」と根拠もなく言っていたけど、それは残念ながらなかった。港には食べ物を売る人がたくさんいるだろう、と朝食も食べて来なかったし、みんな腹ペコだったのでちょっと期待したのだが…。それにしてもアンゴラは他の国と違って屋台や露店の商売がないので、食事に困る。バイクの私たちはまだいいけれど、自転車のピーターにとっては食べ物はバイクにとってのガソリンと同じ。彼がいつも食べ物の心配ばかりするのは、あたりまえのことなのだ。
私たちのバイク3台はクレーンでしっかり船に積まれ、船は9時に無事出航したのだが、どうにも遅い。SOYOまでたった60km余りの距離を、実に7時間半もかけてゆっくりと進んでいった。ザイール川の流れの関係なので、逆ルートは速いそうだ。
そうしてやっとSOYOに着いたのはいいが、ここにはクレーンがない。バイクを陸揚げするのに、今度は板を渡して数人がかりでなんとか船から出すことができた。
バイクと自転車を港に引き上げると、今度は寝場所を確保しなくてはならない。SOYOには宿がないが、そういうときの頼みの綱はミッション(教会)というわけで、町からかなり離れたミッションカトリックへ向かった。コンゴ・キンシャサから来ている、という若いシスターがちょっと当惑しながらも、テントで泊まることを許可してくれた。さらに腹ペコのピーターが夕食のことを訊ねると、なんと食事も用意してくれることになった。この町には食堂もないし食料を買うにも店もない。バケツの水でシャワーも浴びられるし、ありがたいことだ。

812_07_15912_07_15■首都ルアンダは大都会(ルアンダ/2003年6月13~14日)
ソヨを出て370km、カヒトという街で一泊したあとルアンダへ。地方からの避難民らしい人々が住む粗末な家が並ぶエリアを通ると、向こうにビルが林立するルアンダの街が見えた。かなりの大都会じゃないか! 30年間も内戦が続いていた国とはとても思えないが、ここはあまり被害を受けなかったそうで、そのせいで難民が集まってしまったようだ。
街の中心部へ行くと、海沿いにパームツリーの並木があり、大きな建物が並んでいる。ちゃんとした路線バスもあるし、TOYOTAやNISSAN、MITSUBISHIなど、日本車もたくさん走っていて、しかもどれもピカピカのいい車ばかり。いったい、どうなってるの? アンゴラって、もしかしてリッチな国?
道路脇に止まっていると、後ろからステファンも現われた。昨日ルアンダまで来たけれどホテルが高かったので、20kmほど手前の路上で野宿した、とのこと。彼はコンゴ人女性と結婚したほどアフリカが大好きで、もう3度目のツーリング。シャワーも洗濯もキライで、外見はかなり汚らしい。私たちは地雷のいっぱい埋まっているアンゴラで野宿する勇気はない。
ステファンの情報では、$20のはずのホテル・グランドが$70、安いところで$30だったけど、そっちはバイクが置けない、という。ホテルの数も少ないようだ。ステファンはもうビザの延長もすませたし、ルアンダに泊まらず先へ進むと言う。私たちは1泊くらいはしたいので、街を走りながら地元の人に聞きながら探してみると、1泊$31でバイクも置けそうな「HOTEL PARIS」が見つかった。ペンションもあると聞いていたけど、街が大きいうえ地図も情報もなく、探し出すのは難しい。高い、と渋る健ちゃんを説得し、1泊して街を散策した。思ったよりずっとちゃんとしていて、物乞いもいないし観光客相手のしつこい物売りもいない。内戦=難民、貧しい国というイメージは必ずしも正しくないのだ。

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■フレームが折れた!(ルバンゴ/2003年6月17~19日)

ルアンダを出て南へ進み、ベンゲイラという街から内陸ルートを走ったが、これがひどい道だった。かつては舗装だったようだけど、30年の内戦のせいで荒れ果てたまま。アスファルトの残骸がボコボコしていて、それがときどきタイヤにガツン、と当たる。いきなり陥没していたり。まったくのダートのほうが全然走りやすい。  ガタボコのひどい道が終わり、ルバンゴに着いた。標高1700mの高原にあり、コロニアル調の建物が残り、ほどほどの大きさの街。街の向こうに大きな丘があり、街を見下ろすように両手を広げたキリストの像が立っている。そういえば同じポルトガルの植民地だったブラジルのリオデジャネイロにもこんなキリスト像があった。  ペンションがなかなか見つからず、街を右往左往する。ポリスに聞くと物売りのお兄ちゃん2人が先導して教えてくれた。西アフリカならここで「ガイド料をくれ」と言われるところだが、アンゴラではまったくそんなことはなく、純粋に親切。もう何年もツーリストがほとんど来なかったから、スレていないんだろう。  無事に部屋を確保し荷物をバイクからはずしていると、重大な事実を発見した。なんとジェベルのフレームが折れてしまっていたのだ! さっきからやたらに沈むなあ、と思っていたら! 今日の道でやられたのだろうけど、コンゴからずっとひどい道ばかりだったのでさすがに耐え兼ねたのか?  街の修理屋さんで荒療治ながら溶接、補強してもらってなんとか修理完了。はああ、人間のほうも悪路走行の連続に疲れて、その日はぐったり。

 

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■ランゴスタは何処へ?(ナミベ/2003年6月19~20日)

以前アンゴラを走ったN氏が「アンゴラはロブスターが豊富で安い。一生分食べてこい!」とメールをくれたので、私たちはその気になって「ランゴスタ(ロブスター)! ランゴスタ!」と探していた。最初にカビンダでおばちゃんがでっかいランゴスタを売っているのを見たときは期待できそうだと思ったのに、その後はさっぱり見かけなくなった。海沿いのベンゲイラでも、その先の漁村でもランゴスタがなく、食べられないままに南下した。最後のチャンスはナミベ。ここなら海辺の大きな街だし、魚介類レストランなどもあって、ランゴスタだけでなくうまい魚介類も食べられるに違いない、と思ってルバンゴから片道180kmを往復することにした。「ナミベでランゴスタが食えるか?」といろんな人に聞くと「Si(食える)!」と誰もが言うのでわざわざ行ったのに…、なかったのだ!  よく聞くと、今はランゴスタのシーズンではなく、あと2ヶ月くらいしないと採れないらしい。ガーン! 何のためにここまで来たの? 泳げる気候でもないから海辺へ行っても閑散としているし、海沿いに魚介類を食べさせてくれるレストランがあるわけでもない。だいたいアンゴラにはレストランが少ない。屋台の店もないので、食事に困るのだ。  ナミベはもっとリゾートしているのかと思ったのに。がっかりしてペンションを探しながら街中をゆっくり走っていると、ジェベルのエンジンがかからなくなってしまった。どうしたのかと道端で止まっていると、人が集まりだした。そのうちどんどん見物客が増え、今度はラジオ局がやってきた。カビンダでも同じような感じでTV局がやってきたけど、アンゴラでは人だかりができるとマスコミがやってくる、という法則があるらしい。  インタビューされたのはいいけれど、向こうはポルトガル語オンリーで英語がまったくできない。仕方なく下手なスペイン語(ポルトガル語ではない)で受け答えする。勝手にこんなことを聞いているんだろう、と憶測し、適当に答えてたのだけど、あれが放送されたのかと思うとかなり恥ずかしい。  そのうちジェベルのエンジンも無事にかかり、バーに併設されたペンションに落ち着けた。ああ、疲れる。夕食はバーで食べた。ランゴスタではなく、ステーキと魚だった。

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