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アゼルバイジャン・グルジア 2001年11月3日~11月23日

アゼルバイジャン・グルジア 2001年11月3日~11月23日

■大油田で潤う首都バクー(アゼルバイジャン)

カスピ海を越えてトルクメニスタンからアゼルバイジャンの首都バクーへ降り立ったのは夕方6時。港にはたくさんの船が停泊し、町にはネオンがこうこうと輝いている。殺風景だったトルクメニスタンとはえらい違いだ。カスピ海を渡る風も心なしか暖かい。もう外国人登録もいらないし、ビザの苦労もない。役人もマトモだった。やった、これでもう大丈夫。まるで塀の中から解放されたような気分。
バクーの街は、旧ソ連とは思えないほど華やかだった。道行く人のファッションも中央アジアに比べればオシャレだし、民族衣装姿も見かけない。メインストリート沿いにはブランドショップもあるし、街角のポスターやCMもヨーロッパ的で活気に溢れている感じ。車もBMWやベンツ、トヨタなど日本車も多く、旧ソ連の国の中でも、飛びぬけて豊かな印象を受けた。トルクメニスタンを見たあとだったので、よけいにそう感じたのだろうけど、アゼルバイジャンはカスピ海沖の大油田で潤っているらしい。
さらに、この旅で初めて、西側世界の代名詞、マクドナルドを発見! 街の一等地にあり、家族連れで賑わっている。思わず飛びこんでハンバーガーを注文してみたが、日本の平日価格より高いくせに、中身は同じように貧弱だった。この国の物価にすれば高いし、そのへんの屋台で売っているドネルケバブのほうが安くてうまくてボリュームたっぷりなのに、そっちは閑古鳥が鳴いてる。西側のブランド力というのはかなり強いようだ。
そのほか、バクー市内には日本料理屋こそないものの、各国料理のレストランもあり、大好きなインドレストランもあったので、マクドナルド同様、思わず飛び込んでしまった。中央アジアではどこへ行っても、プロフ(ピラフ)、ラグマン(うどん)、シャシリク(串焼き肉)という決まりきった料理ばかりだったので、久しぶりに味わいながら食べた。やっぱり旅の楽しみは食べ物! 特に物価の安い国だと気にせずに食べるから太ってしまうのは仕方がない。

■コーカサス山脈ツーリング(アゼルバイジャン)

首都バクーを出てコーカサス山脈の山懐を走る。アゼルバイジャンの郊外は乾いた砂漠ばかりの中央アジアと違い、緑が豊かでみずみずしい風景が続いている。緩やかな丘陵地帯に広葉樹の森、うっすらと雪化粧をしたコーカサスの山々。ごくあたりまえっぽい風景がなんだか新鮮に感じられる。紅葉の時期は過ぎていて冬枯れの風景だったけれど、寒さもそれほどでもないし、道路沿いには立派なガソリンスタンドや食堂があるから、燃料や食事の心配もない。久しぶりに日本のツーリング感覚で楽しんで走れた。
コーカサス山脈の麓にあるシェキという町へ向かう。シェキは昔も今も、シルクで栄えている町。ラクダでシルクを買い付けに来る商人達のキャラバンサライ(隊商宿、アゼルバイジャンではサラユと発音)がいくつもあったそうだが今は二つしか残っていない。そのうちのひとつが改装してホテルとして営業しているので、そこにチェックインした。広い中庭を囲むように部屋が並び、客室もリビングまであるデラックスな造りで、スペインのパラドールのようなリッチで重厚な雰囲気。そのわりに2人で$15と安いのは、物価のせいだけではなかった。シャワーからお湯はでないし、電気も夜2時間ほどしかつかないから町中真っ暗。首都バクーを離れるにしたがって不便度は増して行くし、やっぱりここも旧ソ連なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

■電気も水道も来ない城壁の町(グルジア)

アゼルバイジャンからグルジアへ入国する。同じくコーカサス山脈の南にあるが、こちらは黒海に面しているし、宗教もキリスト教だから豚も飼っている(イスラム教では豚は不浄の動物なので食べない)。また民族もスラブ系の白人が多くなるので、東ヨーロッパのどこかの国のような感じ。
グルジア1泊目はシグナギという小さな町に泊まる。高い丘のてっぺんにある町で、中世の古い城壁に囲まれている。グルジアでは敵からの侵略をさけるためか、下にいくらでも住みやすそうな平地があるのに、こうした丘の上に町があることが多い。
ところで、シグナギのホテルでは水も出なければ電気もまったく使えなかった。ホテルだけではなく町中真っ暗。食堂もないというので、ホテルのおじさんに案内してもらい、小さな商店でパンとソーセージを買う。ロウソクの灯りで夜を過ごし、とんでもない国に来てしまったなあ、とタメイキをつく。
グルジアはロシアからの独立問題を抱えるチェチェン共和国などと隣接していて軍隊も緊張しているし、国内の民族問題もあって難民が多く、経済が破綻している。地方では電気や水の供給も制限されていて、まだまだ復旧の見込みはない。
首都トビリシでも、大きなホテルはアブハジア難民に占拠されていて、1フロアだけツーリスト向けに営業している、という有様だった。グルジアではもともとホテルが少ないこともあり、一般の家庭が宿として旅行者を泊めている。もちろんガイドブックには出ていないので、口コミで情報を得ることになる。私たちも他のツーリストから聞いたナージおばさんの家に1泊$4で泊めてもらった。さすがに首都だけあって水も電気も問題なかったけれど、お金持ちの広い家というわけではなく、2~3DKの狭い民家なので、応接間や廊下などに置かれたベッドに寝るだけ。プライベートな空間はなし。それでも、他にも欧米人ツーリストや仕事で来ているグルジア人なども泊まっていて繁盛していた。

■緊張のミリタリーチェック(グルジア)

グルジアの山岳地方は、小さな村村を結んだ曲がりくねった街道で、時間はかかるがツーリングにはおもしろいコース。ひまそうなおじさんが茶を飲んでいたり、子供達がバイクの私たちに手を振ってくれたり、
市場での買い物帰りなのか、大きな荷物を抱えたおばさんが道を歩いている。バイクで走ると、グルジアの田舎の生活ぶりがよくわかって興味深い。
そうした村を訪ねながら、コーカサス山脈の懐の道をしばらく進むと舗装が途切れて峠越えのダートになった。日本の林道によく似ている。気分よく走っていると、ミリタリーチェックに行く手を阻まれる。
「去年、日本人のジャーナリストがひとり殺されたけど、君達もジャーナリスト?」
こういう緊張した場所でジャーナリストだなんて答えたら大変。チェチェン共和国に近い場所柄、軍のチェックが厳しいのだ。ましてこんなローカルな道路を通るツーリストなんてまずいないだろうから、怪しまれても仕方がない。軍のチェックは何度もあり、そのたびに止められてパスポートチェックをされる。「本部と連絡を取るから」と1時間くらい待たされたこともあった。
なんだか、ものものしい雰囲気ではあるけれど、兵士たちは意外にフレンドリー。他の車から賄賂としてせしめた酒を私たちにふるまってくれたり(バイクに乗っているというのに!)、一緒に写真に写りたがったり、いろいろ質問してきたり。最初は緊張していた私たちも、何度もチェックポイントを過ぎるうちに、リラックスして話せるようになって、どこでも友好ムードで通してくれた。

■グルジア軍用道路を行く(グルジア)

グルジアとロシアを隔てるコーカサス山脈には、ユーラシア大陸最高峰エルブルーズがあることでも知られているが、標高5333mのグルジア最高峰カズベキ山もここにある。カズベキ山はグルジアを代表するビールの銘柄にもなっているほどグルジア人にはポピュラーな山だけど、コーカサス山脈の峠を越えなければ見ることはできない。
林道を通り抜けると、グルジア軍用道路の途中に出た。コーカサス山脈を越え、ロシアのウラジカフカスに通じる道路のことで、その名の通りソ連時代に軍事目的で造られたようだが、現在はグルジア屈指の観光ドライブルートになっている。湖のほとりにある古いグルジア教会、素朴で伝統的な村々、そこを抜けると、雪を被ったコーカサスの山々が迫り、広々した高原地帯に出る。その先に十字架峠があり、さらに20kmほど行くとロシア国境の町、カズベキに至る。そこからカズベキ山がよく見えるらしいというので、
私たちはカズベキの町を目指してバイクを走らせた。
ところで、ロシアにはウラジカフカスのほかにもウラジオストックなどの地名があるが、「ウラジ~」というのは日本語でいうと「征服」という意味合いもあるそうだ。「ウラジオストック」も極東の拠点ということだろう。「ウラジミール」というのもロシア人には多い名前だ。日本でいうとさしずめ「勝也」「征彦」といったところか?
カズベキでは泊まろうと思っていたインツーリストホテルがつぶれていた。商店で宿のことを聞くと、
ティナさんという家で泊めてくれると教えてくれた。ホテルの少ないグルジアでは、一般の家が民宿をやっていることが多いが、ホテルはどこ? と訪ねると「家に泊まっていきなよ」と気軽に誘ってくれる場合もある。
宿が決まってほっとしたのも束の間、夜から雪が降り出してしまった。明日はまた同じ道を戻らなければならないというのに。翌日も朝から天気がすぐれなかったが、このままではこの町に春まで閉じ込められてしまう。意を決して出発。2348Mの十字架峠付近は昨夜の雪で圧雪状態で周囲は真っ白な雪景色。なんとかこけずに麓まで下りたけれど、もう11月も半ば。バイクではそろそろ限界だ。

■陽気な一家にホームステイ(グルジア)

首都トビリシからメインルートを走り、黒海を目指す。持っている衣類をすべて着込むが、やたらと風が強くて寒い。ブルブル震えながら西へ西へと走るが、だんだん天気もあやしくなり、とうとう雪が本格的に降って来てしまった。ガガーン! どうしよう。途中の峠は標高2000m以上もあり、ツルツルのアイスバーンになっている。ヘルメットのシールドもバリバリに凍り付いてしまうし、体も寒さのために硬直状態。ツライ。
軍用道路で雪道にはすっかり慣れていたため、コケずに第2の都市クタイシに無事に到着した。ここではトビリシのナージおばさんの弟、グベタッズさん一家にお世話になる。お父さんのスリコ、お母さんのメディコ、27歳の息子ジェイラン、そしてスリコの盲目の妹、タマラの4人家族。この町でも電気と水は来たりこなかったり。お父さんも息子も失業中だし、介護の必要なタマラもいるし、お母さんのメディコが1人で家庭を切り盛りしている感じだった。
それでもここの家族はみんな明るくて、突然訪問した私たちを大歓迎してくれ、自家製の赤ワインを振舞ってくれた。今年できたばかりの新酒が次から次へと出てくる。カンツィと呼ばれる牛の角で造ったカップで飲むのがグルジア流。私たちもスリコもジェイランもお酒が好きなので、ついつい飲み明かしてしまい、翌日は二日酔いで苦しみ、結局もう1泊お世話になる羽目になるのである。
そんな陽気な一家のおかげで、グルジアの印象はぐっとアップしたのに、黒海に出たとたんに大雨で3日間足止めを食ったうえ、さらに国境で腐った役人に会ってしまう。警察に$3賄賂を払わされたあと、さらにバイクの書類がない、とイチャモンをつけてきて、1人$5払えと言ってきたのだ。入国時には税関申告しなくて大丈夫、といわれたのに、この始末。まったく信用ならない。絶対払うもんか、と粘っていたら「払わないなら通さないぞ! 戻れ!」と怒りだしてしまった。結局払ってしまったけど、役人や警察が腐っている国はまだまだ先行きは暗い。

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