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北朝鮮

北朝鮮旅行 最終回 (韓国側から板門店へ 2013年9月10日~13日)

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韓国のソウルへやって来ました!ソウルでは韓国のバイク友達と1年ぶりの再会です。ローカルムード漂う居酒屋へ連れて行ってもらい、美味しい料理とマッコウリ、韓国焼酎で乾杯。何だか最後の頃は良く覚えていないんですが、気持ちよく酔っぱらうことができました。

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翌日、板門店へ向かうはずでしたが、急遽南北間での対話が板門店で行われることになり、板門店ツアーは翌日の12日に延期となりました。ネットで調べてみると、今日の対話の中で、4月からストップしていた開城工業団地の操業が16日から再開されるように決定したそうです。その他、金剛山観光の再開や離散家族の面会なども検討されたということです。

金剛山というのは北朝鮮側にある景色の美しい観光地です。現在は北朝鮮側からしか行けませんが、2003年から2008年までの5年間だけ、観光事業として韓国側からも入れた時期がありました。韓国人女性が誤って立ち入り禁止区域に入って北朝鮮兵に射殺された事件を覚えてる方も多いと思います。射殺された2008年7月11日以降現在まで、韓国側からの金剛山観光は中止されたままです。

ツアーが延期になったので、今日は戦争記念館へ行ってきました。午後から見学をはじめましたが、想像以上に見応えのある施設で閉館時間ぎりぎりまで見学してしまいました。入場料も無料だし、ボランティアで日本語のガイドをしてくれる人もいて、朝鮮戦争についての理解が深まりました。ガイドに疑問に思っていたことを質問してみました。朝鮮戦争の停戦協定調印式に国連と北朝鮮と中国が参加したが、なぜ、韓国が参加しなかったのか。ガイド曰く、当時の韓国大統領の李承晩は停戦に反対して南北統一を進める考えだったから、という答えが返ってきました。統一というと、軍隊をさらに北進させ北を全滅させるということですか?と聞き返すと、ちょっと、嫌な顔な顔をして韓半島の統一を願っていた、ということです、といって、すぐに別の話題に切り替えました。

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北に占領されていたソウルを仁川(インチョン)上陸作戦で奪還したときの様子を紹介したコーナーもありました。

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戦争記念館を出るともう夕方になっていました。見学しようとしていた世界遺産の景福宮も時間的に無理。地下鉄で安国駅まで移動して、三清洞あたりをぶらぶら散歩してみます。この付近は韓国の伝統的なもの、と現代的なものがうまく融合したオシャレなエリアのようです。

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仁寺洞まで歩いて適当なお店に入り夕食。ビビンバ、スンドウフチゲ、ビールで2人で3000円ほど。韓国料理は北朝鮮より美味しいと思います。

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翌12日、板門店&DMZツアーに出発です。ツアー料金は一人10000円でした。

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北朝鮮の板門店ツアーと違って韓国の板門店ツアーには厳し規則がありました。服装は、Tシャツ、半ズボン、軍服、サンダル不可、車椅子、傘、杖の持ち込み不可。北側を指さしてはいけない、軍人に話しかけてはいけない、見学中は2列になって歩くなどです。途中ずっと写真撮影が禁止されていて、ここ、韓国側の自由の家まで入ってきてはじめて正面の写真撮影のみOKとなりました。向こう側には1週間前に訪れた北朝鮮側の板門閣が見えます。

板門店で起きた有名なポプラ事件についての説明が、北朝鮮側と韓国側で違っていました。北朝鮮側では、共同管理区域にあるポプラの木を国連軍が勝手に伐採を始めた、直ちに中止するよう申し入れたが聞き入れなかったため事件が起きた、と説明を受けました。韓国側では事前にポプラの木を剪定することを申請済みだったので合法的な作業だったのに、北の兵士が中止するよう言ってきた。さらに作業を続けると、斧を振りかざしてきて2名が殺された、という説明でした。どちらが正しいのか、どちらも正しくないのか、今となっては謎です。

さらに、北朝鮮側では聞かなかった説明があります。過去に何度か板門店は亡命の舞台となっているということです。1984年には、ソビエトの大学生が北朝鮮の板門店観光ツアー中に南側へ走って亡命、銃撃戦となり、北の兵士3名、南の兵士1名が犠牲になったということです。その亡命した大学生は今はアメリカで暮らしているそうです。1998年には警備中の軍大尉が北から南へ軍事境界線を越えて亡命したそうです。

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軍事境界線上にある軍事停戦委員会本会議場に入りました。ここで南北の重要な会議が開かれているわけですね。

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国連軍の兵隊さんです。

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こちらは、板門閣を警備する北朝鮮の兵隊さんを望遠レンズで撮影したもの。

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昼食はツアーの皆さんと一緒にドライブインでプルコギ定食でした。ドライブインで飼われていた犬です。板門店で緊張したので犬で和ませていただきました。

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昼食後は第3トンネル見学です。ここはモノレールで地下まで下ることができました。トンネルは1978年に発見されたそうです。トンネルは長さ1635メートル、高さ1,95メートル、幅2,1メートル、深さ73メートルの地下にあります。北朝鮮側はトンネルは韓国側が掘ったものと主張し、韓国側は北朝鮮が掘ったものと主張しています。ガイドの説明ではダイナマイトの破片から北から南へ掘削したことが明らか、トンネル内に塗られた石炭のススは発見されたときカモフラージュするためのもの、掘削の角度が北の方角に3度低くなっている、トンネル入口に向かって水が流れるよう掘るのが掘削技術の常識で逆はありえない、以上3点から、北が掘ったことを証明できると言っていました。また、脱北者の証言が発見の決め手になったということです。現在、4つのトンネルが発見されていますが、他にもまだたくさんあるのではないかということです。

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臨津閣(自由の橋)の鉄格子とトンボ網。昨年韓国ツーリングをしたとき、日本海側の海岸線に延々何キロにも渡ってこのようなトンボ網が張られていたのを思い出します。

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ガイドも最後に言っていましたが、北朝鮮側が嘘を付いている、決まりを守らないなど憤りの感情は韓国人皆が持っていると思う、でも、私たちは北も南も同じ民族である、私たちには兄弟同士で殺し合いをしなければならなかったような、悲しい歴史がある、北も南を誤解し、南も北を誤解している面がある、望むのは憎しみ合うことではなく、統一して今度は一緒に歴史を歩んでいくこと、そう言っていました。

韓国と北朝鮮は、道路はもちろんのこと鉄道もいつでも走れるよう準備できているということです。ここ都羅山駅は、現在は使われていませんが、統一されれば韓国側の一番北側にある重要な駅になるそうです。統一を願う象徴的な場所として観光コースに組み入れられているようです。

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都羅山駅のプラットホームには平壌205キロ、ソウル56キロの表示版がありました。線路はつながっているし、列車もスタンバイOK、あとは祖国統一を待つだけというわけです。

駅構内には統一されれば韓国からヨーロッパまで鉄道でつながることが世界地図で表記されていました。

バイク好きの私たちとしては、釜山発のユーラシア大陸横断なんて面白そうだなと思います。かつての冷戦時代、中国やソビエトが今のような国になることを誰が想像できたでしょうか?

夢が夢で終わらず、いつの日か統一万歳!と叫ぶ日が来ることを切に願います。

 

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北朝鮮旅行 その7 (中国の湯崗子温泉へ 2013年9月8日~9日)

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昨日、北朝鮮から中国へ戻ってきて、そのまま鞍山という町までバスに乗ってやってきました。バスターミナルのすぐ前にある安隆賓館が私たちの泊まった宿。1泊朝食付き2人で130元(約2200円)。招待所と呼ばれる宿泊施設はもっと安いのですが、外国人は泊まることを認められていません。外国人が泊まれる宿となると、このくらいから上のクラスになってしまいます。こんなに発展してしまう前にもっと中国を良く見ておくべきだったなぁと思います。

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宿の朝食はバイキングスタイルでした。なかなか美味しいです。中国の人はたくさん食べるんですよね。周りの皆さんのお盆はどれも山盛りでした。

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路線バスに30分くらい乗って、湯崗子温泉へ行ってみました。周辺では巨大なスパリゾートを建設中でしたが、私たちが目指すラストエンペラーのために作られた「龍池」があるのは病院もありホテルもありという温泉療養センターの一角です。中国の温泉はロシア人に人気のようで、観光客もたくさん見かけました。

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日本植民地時代の1930年代、対翠閣という旅館の中にラストエンペラー溥儀を迎えるために「龍池」は作られたそうです。「龍池」はそのままに、対翠閣は龍宮温泉と名前を変え1997 年にリニューアルされました。

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館内にはラストエンペラー溥儀が「龍池」を訪れた当時の写真が掲示されていました。

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入浴料金296元(約5000円)を払って中へ入ります。貸切で2時間ということですが、あまりにも高すぎます。もう、ここまで来たらやけっぱちです、「龍池」入浴を目的にここまで来たんだから入るしかないでしょう。温泉は柔らかなアルカリ性の泉質でした。調べたところによると、ラドン、カリウム、ナトリウム、マグネシウム、硫黄、アルミニウムなどを含むとありましたが、ごく微量と思われます。日本の温泉法では単純温泉に分類されるのではないかと思いました。お湯の良さもさることながら、壁と天井に施された龍の立体的な模様に圧倒されます。浴槽は直径2メートルくらいの円形でした。分不相応に立派なお風呂というのはあまりリラックスできるものではなく、日本に戻ったら東北の鄙びた温泉に浸かりたいなぁ、と思うのでした。

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浴槽のある部屋の奥にはシャワーや寝そべって休憩できるスペースもありました。

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温泉を出て鞍山までバスで戻って昼食です。「地下街美食城」という、名前そのままの地下の食堂街です。色々なメニューをそろえた店が集まっているし、料理が写真で一目瞭然なので、このシステムは中国語がわからない旅行者にはありがたいです。

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四川担々麺7元(約120円)と小籠包7元とビール5元(約85円)の昼食。中華料理万歳!本当に何食べても美味しい!

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中国の白バイです。もちろん中国製のバイク。今回びっくりしたのが、エンジン付きのバイクはこれだけしか見かけなかったこと。瀋陽市でも鞍山市でも見かけるバイクは皆電動バイクばかりでした。ヘルメットをかぶらなくても良いらしく、しかも、歩道走行可のようでした。広い国なので、他の地域はどうだかわかりませんが、遼寧省の市街地近郊はエンジン付きバイクは乗ってはいけないことになったのかもしれません。いつか、中国大陸を自分のバイクで走り回りたいという夢を持っているので、これはいやな傾向ですね。

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瀋陽市へ戻ってきました。中国は毎回の食事が楽しみ。手前右から豚肉とにんにくの芽炒め22元(約370円)、白菜と木耳炒め12元(約200円)、餃子16元(約270円)、後ろがチャーハン8元(約140円)、ビール5元(約85円)。チャーハンにキュウリが入っているのにはびっくりでしたが、新鮮な感覚で美味しかったです。

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翌日は朝鮮人街へ行ってみました。瀋陽の朝鮮人街は中国では最大のものだそうです。なぜ、中国に多くの朝鮮人が住んでいるのかというと、日本植民地時代に朝鮮を統治するために置かれた朝鮮総督府という機関がありました。その朝鮮総督府による政策で朝鮮から旧満州に移住された人たちが約60万人居たということです。日本が敗戦して朝鮮が独立したとき大部分の人たちが故郷へ戻りましたが、中国に残留した人も居て、その人たちの子孫が中国東北部にたくさん住んでいるのです。

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写真は自分のできる仕事内容を書いたプレートをぶら下げて仕事の誘いを待つ人たち。

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次に回族人街へ向かいました。中央アジアを旅したときに食べたのと同じようなパンを窯で焼いているおじさんがいました。ちょうどお昼時なので1枚買ってみることにしました。1枚3元(約50円)。

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隣の屋台でシシカバブも買いました。1本3元。

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んん~ん。中国に居ながらにして思いは遥かかなたシルクロードを駆け巡っています。たまらんなぁ。

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北朝鮮と違って、中国には野良猫もいっぱいいました。

明日は韓国ソウルへ飛びます!
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北朝鮮旅行 その6 (飛べ、高麗航空機!北朝鮮から中国へ 2013年9月7日)

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今日は北朝鮮を出国する日です。北朝鮮で買ったお土産をちょっと紹介します。これは、日本の小泉前首相が2002年9月17日に訪朝し、日朝平壌宣言に署名したときの記念切手です。他の記念切手もセットになっていて1500 円ほどでした。

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北朝鮮らしいデザインが気に入り、絵葉書もたくさん買いました。1枚30円ほど。

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これは、北朝鮮の旅行ガイドブック。850円ほど。地球の歩き方など日本のガイドブックはまだ出版されていないので、北朝鮮観光宣伝社の日本語ガイドブックを現地で買いました。

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北朝鮮のCDです。반갑습니다 (バンカップスムニダ)という曲が好きでCDをガイドに見つけてもらって買いました。

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平壌空港へはホテルから車で30分くらいで到着。

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空港の中です。大きな空港ではありません。台湾人の団体客がたくさん居ました。同じ便で中国の瀋陽へ飛ぶようです。

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平壌空港の出国ボードです。中国の北京と瀋陽へ定期便があるようです。マレーシアのクアラルンプールへも飛んでいるの?とびっくりしましたがチャーター便だそうです。

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ここで、2名のガイドとドライバーとお別れです。日本人と間違うくらい流暢に日本語を話す本当に親切な方たちでした。セキュリティーチェックと荷物チェックを終えて出国カウンターへ進みます。

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これが、ボーディングパスです。

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平壌空港のお土産屋のお姉さんも美人でした。

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高麗航空のジャンボジェット機が見えます。

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私たちが乗る瀋陽行きはジャンボではなくエアバスでした。ほぼ満席。日本人が考える以上に北朝鮮に観光やビジネスで訪れる外国人は多いのだと思います。

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何と、機内食は朝鮮料理ではなくハンバーガーとジュースでした。

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無事に中国の瀋陽空港に着きました。これは、瀋陽空港の到着ボード。ソウルからも平壌からも飛行機が到着する空港です。

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瀋陽市内まではエアポートシャトルバスで行きました。バスを見つけて係りの人に、切符をどこで買うのか英語で聞いてみると「アイドンノー」の答え。英語が解りませんの意味なのでしょうが、昔、中国人に何をお願いしてもメイヨ(漢字で没有、無い、不可能、ダメという意味)とあしらわれたことを懐かしく思い出し、腹が立つより笑ってしまいました。他の乗り込む客の切符を指さすとようやく、あっちで買え、みたいに売っている方角を指さしたので、そっちをウロウロして見つけて買いました。

おもてなしとは程遠い中国の洗礼を受けて瀋陽市内へのバスに乗ると、ついさっきまで北朝鮮に居たことが夢のような気さえしてきます。私がなぜ旅に惹かれるかというと、日本で信じられている常識とは違った世界に直に触れ、びっくり仰天したいから。そういう意味で北朝鮮は旅行先としては100点満点の国でした。

でも、今の北朝鮮の状態が良いとは決して思いません。第二次世界大戦で日本の植民地支配から解放されたと思ったら、次は北緯38度線でアメリカ寄りの民主主義国家とソビエト寄りの共産主義国家に引き裂かれ、今に至っても悲しい離散家族問題を引きずっています。それどころか、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発。同じ民族同志がお互いを傷つけ合い、3年後に休戦となりました。両国の状態を見てみると、現在も戦争はあくまでも休戦であって、終戦ではないことを強く感じます。あまりにも難しい問題が山積しているために祖国統一が先に先にと延ばされ60年も経過してしまいました。東西ドイツの統一を昨日のことのように思い出しますが、あれから20年経っています。朝鮮半島の分断の歴史は、東西ドイツ分断の1,5倍の時間が経過した現在、未だ道筋は不透明なままです。これだけ複雑に絡み合った糸をどうすればほどけるのか、そう簡単に解決法は見つからないと思いますが、日本人の一旅行者として統一を願わずにはいられません。

今回の北朝鮮旅行は、実はこれで終わりではありません。今回のメインテーマは軍事境界線のある板門店を北朝鮮側からと、韓国側と、両側から見学してみることです。違いを比較するだけではなく、いつか統一が実現し朝鮮半島ぐるり一周ツーリングできる時代が訪れたとき、「昔はここ自由に行き来できなかったんだよなぁ、変な時代だったよね」とつぶやくための準備という意図もあるのです。

というわけで、距離的には平壌からすぐそこの板門店の韓国側へ行くために、中国の瀋陽から韓国のソウルへ飛ぶわけですが、せっかくなので、中国が日本の植民地だった満州国時代にラストエンペラーのためにたくられた温泉に入って行くことにします。

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ラストエンペラー溥儀のために作られた「龍池」のある湯崗子温泉へ行くために、瀋陽からバスに乗って鞍山という地方都市に移動してきました。地図上では目立たぬ小さな点でしかない鞍山のような地方都市がこれほどまでにきらびやかで発展している様にびっくりです。中国には、わが福島県で一番大きな郡山市よりもずっと大きな街が無数にあるのかと思うと、この国は急成長して日本の手の届かないところへ行ってしまうのだろうな、と思ってしまいます。そして、サービス精神という点ではまだ遅れているとは思いますが、街のゴミもなくなり、ツバやタンを吐く人も少なくなり、バスターミナルのトイレも綺麗でしかも無料でした。物価も急上昇、今や日本人の旅行先として決して安い国ではありません。

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マクドナルドやケンタッキーと並んで、吉野家もたくさん目にしました。この店舗が特別なわけではなく、1ブロック先には別の吉野家があるような感じで多数店舗展開していました。値段も日本と同じく380円ほどしますが、流行っているようです。私たちも中国の吉野家で食べて見ようかとも思いましたが、やはり、せっかく中国へ来ているのだからと考え直し、ローカルな食堂に入ることにしました。

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北朝鮮旅行 その5 (平壌市内観光2日目 2013年9月6日)

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今日は北朝鮮でも景観の美しいことで知られる妙香山へ行く予定でしたが、洪水のため道路が寸断されてしまったため予定変更です。しかも、リクエストしてみた動物園は今修理中で休園中、サーカスは公演日が合わずに観ることができないということ。お任せコースでお願いしたところ、最初に案内されたのがここ。贈り物展示館。国内からも見学者がたくさん来ていました。大人の方たちですが、学生さんのようにきちんと2列に並んで見学するところがすごいなぁと思いました。

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左は贈り物展示館のガイド。国内外から金日成、金正日にプレゼントされた品々が展示されているそうです。金日成、金日成には様々なプレゼントが届くけれども、偉大なお二人は決してそれらのプレゼントを自分の持ち物にはせず、国民全体の持ち物として保存しているそうです。右は日本語に通訳してくれる私たちの専属ガイドです。

館内は床も壁も柱も天井も全て大理石でできていて、照明は豪華なシャンデリアでした。床を傷つけないためでしょうか、靴の上に専用の靴カバーを履いて館内へ入りました。贈り物は刺繍の施された屏風、貝殻で作った壺、木彫りなどの芸術作品をはじめ、テレビや携帯電話、家具、ゴルフや釣り道具などの実用品も展示されていました。館内は撮影禁止なので写真はありません。

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次に案内されたのは、平壌市内で一番標高が高い、といっても292メートルですが、竜岳山というところに行きました。麓には学生少年キャンプ場というのもあり、4月から11月まで学校の野外活動プログラムにそって行われるそうです。平壌市で学生時代を過ごした人なら誰でも一度はここでキャンプしたことがあるそうです。その竜岳山を車で登っていくとてっぺん付近に法雲庵という高句麗時代の仏寺がありました。

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ちゃんと、お坊さんも居ました。ガイドによると、北朝鮮では宗教と信仰の自由が保障されているということです。

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本堂には小さな仏像が置かれていました。

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昼食は石焼ビビンバですが、韓国で食べたものの方が美味しかったような気がします。

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昼食後はチュチェ(主体)思想塔へ行きました。塔の内部には高速エレベーターがあって、高さ150メートルまで登ることができます。エレベーターでの入場料はひとり10ユーロでした。チュチェ思想について詳しく知りたい方はこちら

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中に入ると世界80数か国の親善団体などから送られたという文字入りの大理石が埋め込まれていました。

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チュチェ思想塔、高さ150メートルからの眺めです。この立派なビル群は、たった1年間で建設されたという10棟ほどの高層住宅です。一番高いもので地上40階建てだそうです。家賃は無料だそうです。ちなみに、教育費や医療費も無料だということです。

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手前は大同江、左奥に見える三角形の建物は有名な柳京ホテルです。

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高さ150メートルまで登って平壌市内を360度眺めてみると、さすがに大きな街だなぁということが実感できます。右奥のツインタワーが街の中心部に位置する高麗ホテル、私たちが宿泊しているホテルです。

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そのあと、朝鮮労働党創設記念塔を見学してホテルへ戻ります。これは市内を走る路面電車です。

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こちらは、平壌市内の映画館前。上映している映画のポスターが並んでいました。手書きで味があってなかなか素晴らしいと思います。

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ホテルに戻ってきました。北朝鮮一の高級ホテル、高麗ホテルの外観です。私たちはツインタワーの右側の13階に宿泊しました。

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ホテルの部屋でテレビでも見てみることにします。外国人であれば、NHKワールドやアメリカのCNN、中国の放送も見ることができますが、せっかくなので北朝鮮の放送を見てみることにします。ニュースのアナウンサーは日本でもお馴染みのこの女性です。

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こちらは、北朝鮮のお天気お姉さん。明日も何とか午前中は天気が持ちそうですが、午後からは雨とのことです。

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北朝鮮旅行 その4 (平壌市内観光 2013年9月5日)

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今日は北朝鮮の首都、平壌の市内観光です。出発前に高麗ホテルで朝食。バイキング形式です。たくさん種類があるのは良いのですが、味の方はイマイチかな。外のレストランでもいろいろ食べたけど、食べ物に関しては南の韓国に軍配が上がりそうです。

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高麗ホテルのロビーでガイドと待ち合わせて、市内観光へ出発。さすがは北朝鮮ナンバー1の高級ホテル、旧式ながらロビーも立派です。地下にはプールやジムもあります。そして、なぜか、売店の売り子さんはもちろんのこと、掃除のおばさんまで美人揃い。

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昨日、自由に市内を歩いてみたいなぁ、とガイドにリクエストしました。二人だけでの外出は認められないけど、今日はちょっと一緒に市内を歩いてみましょうか、と嬉しい提案。一も二もなく賛成しました。写真も軍人さんなど、カーキ色の制服を着た人以外は撮っても良いとのこと。とは言っても、歩く場所までは指定できず、金日成広場の前の平壌で一番の目抜き通りを歩くことになりました。これは、市内を走る連結トロリーバスです。

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市内には赤地の白い文字の看板が目立ちます。何て書いてあるのかな?

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これはキオスクだそうです。タバコや飲み物、ちょっとした食べ物などを売っていました。横にゴミ箱が置いてあります。ゴミをそのへんにポイッと捨てちゃう人など居ないのでしょう。街にはゴミは全く落ちていませんでした。

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これは、ポストだそうです。

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ビアホールの看板。生ビールも飲めるそうです。1杯70円ほどだそうです。仕事帰りに飲む人も多いのだとか。列車で移動中に見た田舎と首都の平壌の生活レベルはかなり差がありそうです。

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朝鮮労働党の宣伝ポスターでしょうか?ガイドに聞くのを忘れてしまいました。文字が読めれば面白いのになぁと痛感します。

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ちょうど出勤時間のラッシュだそうです。トロリーバスに乗るため行列をつくる平壌市民です。

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出勤途中のOLといったところでしょうか。

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犬を散歩させていたおじさんです。北朝鮮では珍しい光景でした。結局旅行中、北朝鮮では犬を4匹見ましたが、この犬を含めペットが3匹、警察犬が1匹。ガイドによると、一時期犬を飼うペットブームがあったけど、今は廃れてしまい、皆、田舎の方に捨てに行ったということです。また、犬を食べる習慣があるけれど、ペット用とは別の食用犬が居るそうです。そのための犬牧場もたくさんあるそうです。犬は主に夏の暑い時期に好んで食べられているそうです。

image_2223_19_00万寿台大記念碑の金日成像と金正日像。結婚式のカップルとそのご家族が来ていました。その他にも何組か来ていたので、平壌では結婚式の日にはここへ来て献花するものなのかもしれません。実は私たちも献花をできればして欲しいということで捧げてきました。2人分で10ユーロということでした。この後もこまごまと、ユーロが必要な場面がたくさんでてくるのですが、私たちは今回ユーロを持ってきていません。日本円でも中国元でも支払いは可能な場合が多いですが、変換レートが本来1ユーロ135円くらいのところを、円や元だとお店によって150円から180円くらい払わねばならず、大分損をしてしまいました。北朝鮮旅行には細かいユーロをたくさん持って行くことをお勧めします。

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次は地下鉄乗車体験です。ここが地下鉄の凱旋門駅です。

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ここは改札口。

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これが地下鉄の切符。本来10ウォンですが、政府が5ウォンを負担するので実際は5ウォン(約5円)で乗ることができます。

image_1523_18_48路線図マップです。現在地下鉄は2本走っています。

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地下鉄のホームです。作りはシャンデリアがあったり、芸術的なタイルのモザイク画があったりしてゴージャス。ロシアチックです。

image_1723_18_52電車の中はちょっと暗めです。見えますか?奥の連結扉の上にはまたしてもコンビのあの方たちの肖像画がありました。

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地下鉄駅のホームには新聞が掲示してあり、電車を待ちながら読むことができます。新聞の一面トップはもちろん金正恩第一書記の動向です!

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今日の昼食は冷麺です。平壌の冷麺は美味しいと評判のようです。玉流館という店が一番有名だそうで、できればそこで食べたいなと思いましたが、事前にリクエストしないと難しいということです。北朝鮮旅行は全てにおいて事前のリクエストに掛かっているといっても良いくらいです。私たちはリクエストを何もしなかったため、通り一遍の旅行になってしまいました。翌日の妙香山観光が洪水で道が寸断されダメになった代わりにと、動物園やサーカスをリクエストしてみましたが、施設自体が修理中だったり、曜日が合わなかったりで希望がかないませんでした。ガイドによると、事前にリクエストがあれば、軍事パレードの見学なども可能だそうです。次回来るときはよくよく調べてたくさんリクエストした上で旅行日程を組んでもらいたいと思いました。話がそれてしまいました、冷麺です。一番の有名店ではなかったですが、かなり美味しかったです。今回の北朝鮮旅行で一番美味しかったのがこの冷麺でした。ガイドによると、麺はどの店も大差はないけれど、スープが店によって個性があり、スープの作り方は企業秘密でどの店でも人には教えないものなのだそうです。

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一旦ホテルに戻って休憩したあとは、万景台にある金日成の生家へ行きました。この方は万景台のガイドです。どこの観光地にも、現場のガイドがいて説明をしてくれ、その言葉を私たちの日本語ガイドが翻訳してくれるスタイルになっています。このおばさんも50歳を越えているかもしれませんが美人です。朝鮮では「北の女、南の男」という言葉があるそうです。美女の多い北と美男の多い南ということですが、この数日後、韓国の友人が同じことを言っていたので、これは、朝鮮半島全体に伝わる格言のようです。

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次に見学したのが、平壌学生少年宮殿。ここは、学校の授業が終わった後に行う生徒達の課外活動の場だそうです。子供たちを知、徳、体を備えた有能な人材に育てるため、スポーツ、ダンス、音楽、手芸、書道、コンピューターなどの課外活動が行われているということです。ガイドによると、ここだけでなく各地区にこういったものがあり、どんな田舎にでも必ずあるものだそうです。

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これは、琴のような朝鮮の伝統楽器の練習風景。どの子も判で押したような100%スマイルなのがちょっと気になりました。

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見学の最後に、少年少女たちによるショーが行われました。司会進行も子供たちです。

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昨日のアリラン祭りを見た後なのでそれほど驚きませんでしたが、歌もダンスも全て完璧、プロのお仕事なんです。中には天才的なエレキギターの早弾きをする少年やCCBの何倍も上手にドラムを叩く少女なども出てきて実にお見事。ただの課外活動じゃなかったっけ?と思いながらも、素晴らしい演技に見とれてしまいました。

image_3223_19_12今日の夕食で連れて行ってもらったレストランには生ビールがありました。北朝鮮で初生です。やはり生なりの美味しさはありました。大同江ビールの生ならもっと良かったかもしれませんが、別のメーカーの生らしく、ちょっと甘味があり好みの味ではなかったのが残念。

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北朝鮮旅行 その3 (平壌から板門店へ 2013年9月4日)

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平壌ナンバー1の高級ホテルである高麗ホテルに宿泊しています。私たちの泊まっている13階の部屋からも街の様子をちょっとだけ見ることができます。これはちょうど朝の8時ころ。平壌市民の出勤風景です。

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平壌市の中央部とはいえ、たいして車の交通量もないわけですから、道路を歩行者が渡っても危なくはないのですが、市民の皆さんひとり残らず、きちんとルールを守って道路の向こう側へ渡るときは地下道を利用しています。

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ガイドと一緒に今日は、開城(ケソン)にある板門店の観光へ向かいます。開城は高麗時代には首都であったところで、第2次世界大戦終結時は、アメリカとソビエトによって引かれた38度線より南にあったため韓国側の町でしたが、その後の朝鮮戦争終結時には両国軍の支配下にあった地域に基づいて国境線が現在のように引かれるようになり、開城は北朝鮮の町となったそうです。この絵は板門店に掲げられていました。朝鮮民族の祖国統一を願う意味が込められているということです。

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軍のガイドです。最初に板門店の経緯や全体像などを朝鮮語で説明してくれました。それを、ガイドが日本語で私たちに通訳してくれます。何度も朝鮮戦争という言葉がでてくるわけですが、その前に必ず「アメリカの引き起こした」という言葉が添えられるのが興味深かったです。中国と北朝鮮側の主張ではそのようになっているようですが、それ以外の世界のほとんどの国、ロシアでさえも、それを否定しているのが現状です。

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中国人の団体観光客、アメリカ人2名、私たち2名がひとつのグループとなって、軍のガイドと一緒に朝鮮戦争停戦会議場、停戦協定調印場へ向かいます。それぞれ乗ってきた車に乗って移動するのですが、ちょうど軍のガイドさんが私たちの車に便乗してきました。そこで軍のガイドのトークが熱くてちょっと参りました。内容は「私たち朝鮮人は自分たちの国を守るために軍備を強くしなければならない、それをアメリカに邪魔される筋合いは全くないはずだがそれに対してどう思うか?」とか、「韓国とアメリカが合同軍事訓練をし、それに日本も協力している、それに対してどう思うか?」「南の同朋を奴隷にし、私たち朝鮮民族の祖国統一を邪魔するアメリカをどう思うか?」などです。それが、一点の曇りもなさそうな純粋な眼で見つめられながらの質問だから本当に参るんです。北朝鮮の軍を相手に議論する勇気もないので、よくわかんないな~、ごめんなさい、と情けなく答える他ありませんでした。

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朝鮮戦争の停戦会議場です。国連は停戦の調印式をテントで行おうとしたそうですが、テントだと、証拠がきちんと残らないことを危惧した北朝鮮が5日間でこの建物を建設したそうです。停戦協定の調印は北朝鮮と国連で行われ、韓国は参加しませんでした。韓国が参加しなかった理由はその1週間後後、韓国の戦争記念館を訪れたときに聞きました。当時の韓国の大統領、李承晩は完全なる独立、南北が統一した国家を作るために、さらに北進し戦いを続けるべきだと主張し停戦には反対していたからだそうです。アメリカは米軍を韓国に駐留させて、北朝鮮の南進を防ぐことを条件に交渉を続けて、最終的には韓国側もこの意見に応じることとなったそうです。右側に座っている大きな体の人はアメリカ人観光客です。ちなみに、北朝鮮にはアメリカ人は入国できますが、韓国人の入国は認められていません。

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北朝鮮側から見た韓国側の「自由の家」です。北朝鮮のあと、中国から大韓航空で韓国へ飛び、一週間後にはあちら側からこちら側を見学する予定です。一体は共同管理区域と言って、調停を遵守するようお互いを牽制しあっているということです。板門店というのは本当は単にこの場所の村の名前だそうですね。真ん中にある建物を横切るように軍事境界線があります。7つある建物のうち、3つの青い建物は国連が建設したもの、グレーの4つは北朝鮮が建設したものだそうです。

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微動だにしない北朝鮮軍の兵隊。韓国に徴兵制度があることは知っていましたが、意外にも北朝鮮は志願制だそうです。軍隊志願者は多く、人気の職業だそうです。皆、国を守るという誇りをもって任務にあたっているのでしょう。

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板門店のお土産屋さんで地図を買ってみました。驚いたことに、朝鮮半島全体が一つの国として表示されています。南と北に国境が引かれていません。そして首都が平壌になっています。ソウルは、と見てみると、申し訳程度に小さな星印で示されているに過ぎません。

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昼食休憩のため、開城市内へ移動しました。今日の昼食は宮廷料理と参鶏湯(サムゲタン)。参鶏湯はエクストラで3000円ということでしたが、北朝鮮でケチってもしかたないし、せっかくなので注文してみました。参鶏湯は朝鮮人参も入っていてとても美味しかったのですが、量が多すぎて食べきれませんでした。北朝鮮は美人が多いんですよね。このレストランのお姉さんもその一人。

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開城の史跡群は今年、世界文化遺産に登録されました。ガイドによると、朝鮮戦争で古い建物が大分壊れてしまったけれど、開城は戦火を免れ比較的古い建物が残ったのだそうです。この南大門も1000年以上前のものだそうです。古い建物だけを見ると南も北も変わらないなぁと思います。古い時代の絵画には、自由に商売が行われていた賑やかな街並みが描かれていました。

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そして、現代の開城の町を見てみると、こんな感じ。

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平壌へ戻ります。祖国統一三大憲章記念塔です。朝鮮の民族衣装、チマチョゴリを着た女性2人が向かい合い、朝鮮半島を支えあっている構図となっていました。

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宿で少し休憩してから、アリラン祭りを見学するため移動します。これは平壌駅前付近の様子。

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大通りを歩く人たち

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北朝鮮の国旗を持って歩いている人たちは、99日の独立記念日のパレードの練習に向かうところらしいです。

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夕暮れ時の平壌の町を自転車で移動する人たち。後ろに見えるのは主体(チュチェ)思想塔。

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金日成広場です。ここでも、独立記念日に向けてイベントの練習が行われていました。

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交通安全員の白バイです。

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アリラン祭りの前に早めの夕食です。この日のメニューは鍋でした。

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夕食後、アリラン祭りの会場であるメーデースタジアムに向かいました。パラシュートを開いたようなユニークな外観の巨大な建物で15万人の観客が入ることができるそうです。

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アリラン祭りのチケットは特等席が300ユーロ、1等席が150ユーロ、2等席が100ユーロ、3等席が80ユーロと4種類あります。ガイドに聞くと、アリラン祭りは高い位置から見た方が楽しめるが、3等だと低い席や端の方になるというので、2等席にしました。アリラン祭りの土産屋のお姉さんも美人でした。

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いよいよアリラン祭りの始まりです。後ろに見える金日成と金正日は壁に書かれた絵ではありませんよ。大勢の人が色ボードを掲げて巨大な絵を表現しています。絵が文字になったり、模様になったり目まぐるしく変わっていきます。どれくらい練習すればできるようになるのかわかりませんが、それが寸分違わぬタイミングで変わっていきます。

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バックボードだけでなくスタジアムの中で踊ったり演じたりする人達のレベルもプロ並みです。が、プロではなく一般市民が労働の後に練習しているということです。出演者は10万人。7月から9月まで週に4日開催されるそうですが、出演する皆さんも大変だなぁと思いました。

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これはテコンドーをテーマにしたショーでした。それ以外にも、朝鮮労働党の偉大さをテーマにしたもの、、抗日運動から朝鮮戦争までの北朝鮮の近代史をテーマにしたもの、幸福な子供たちの未来をテーマにしたもの、発展した科学技術をテーマにしたもの、祖国統一をテーマにしたものなどがありました。

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最後は、「朝鮮労働党の声は全世界へ鳴り響く、永遠の勝利のアリラン」というテーマで幕を閉じました。テーマはさておき、10万人がスタジアムをいっぱいに使って演じきる迫力に圧倒されましたし、一瞬も目が離せないショーのレベルの高さに感動もし、アッという間に時間が過ぎてしまった感じです。

明日は平壌の市内観光をすることになります。

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北朝鮮旅行 その2 (国際列車で平壌へ 2013年9月3日)

 

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中国の旅行会社とのメールでのやり取りでは、93日の朝830分に丹東駅入り口でまっていれば、王さんという女性が現れ私たちに北朝鮮のビザと平壌までの国際列車の切符を渡してくれるということになっています。ここまで来てみたものの、本当に王さんなる人物が現れるのか830分までは不安が少しありました。

 

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時刻は830分、大丈夫なのか?と思っていると、王さんが現れました。北朝鮮のビザと平壌行きの切符をもらいます。日本語は話せませんが、英語で、845分から丹東駅2階で出国手続きが始まること、列車の番号と座席番号の確認、平壌までは私たち2人だけになるが、平壌駅に着いたら北朝鮮のガイドが待っていることなどを説明してくれました。

 

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これが北朝鮮のビザです。表にツーリストカードと書かれています。

 

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中身はこういうふうに、顔写真とデータが書かれています。北朝鮮への出入国のスタンプは全てこのツーリストカードに押されるため、パスポートには北朝鮮に入国した証しは残らないということです。

 

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これが切符です。

 

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丹東駅2階の出国カウンターです。たくさんの朝鮮人に交じって意外にも外国人観光客も数名いました。日本人も私たちの他に男性が1名いました。旅行コースがほとんど一緒のため、彼とはこの後いろいろな場所で再び会うことになりました。

 

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いよいよ出発です。列車には北朝鮮の国章と丹東発平壌行きの文字が書かれていました。

 

 

ところで、北朝鮮という国をなぜ旅行しようと思ったか、ですが、きっかけは昨年の韓国ツーリングです。韓国の北部の海岸沿いは鉄格子があり厳重に警備されています。バイクで行けるところまで行って見ようと軍事境界線近くまで走り、兵隊さんと記念撮影もしてきました。束草(ソクチョ)という町では故郷は北朝鮮だけれど、戦争で帰れなくなったという80歳のおじいさんにも会いました。同じ民族なのに、北と南になぜ別れてしまったのか、そして、なぜいまだに統一が叶わないのか、本などは読んでみたものの、それでは飽き足らず、軍事境界線の北側にはどんな町があってどんな人たちが暮らしているのかという思いが強くなり、実際に見てみたくて今回の旅行にきました。北朝鮮というお国柄、旅行に行ったからといってベールに包まれた外側の姿しか見れないかもしれません。でも、それもこの国の姿には違いがありませんし、将来、南北両国が統一し、自由にツーリングできるような時代が来たとき、自由に旅行できなかった時代を知っていた方が楽しめるはず、と思って今回来てみました。

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最初に止まる北朝鮮側の駅で出入国管理と税関の職員が列車内に乗り込んできて、ひとりひとりの荷物をチェックします。パソコンは持ち込みOKでした。それと、携帯電話もメーカーと品番を控えるのみで持ち込みOKGPS機能のあるものはダメらしく、カメラなどをみても、GPS機能付きかどうかを確認していました。地球の歩き方韓国編を持っていたのですが、写真付きのページを興味深々という感じで見入っていました。没収されるのかと思いましたが、ちゃんと返してくれました。

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いくつかの駅を通りすぎていきますが、必ず、金日成と金正日の大きな肖像画が掲げれれていました。このコンビを見ると、ああ、本当に来たんだなぁと実感します。

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車窓から見える田舎の風景。もちろん日本や韓国に比べれば格段に貧しそうな人たちの営みが見えるわけですが、マスコミで報道せれるように食べるものに困っているようには見えません。のどかな田舎の風景に見えます。しかし、何かが不自然なんですよね。その理由がわかりました。物を売っているお店や食堂らしきものがほとんど見当たりません。実際にはあることはあるのかもしれません。私がたまたま見かけなかっただけなのかもしれません、それにしても、そういうお店の数が他の国に比べて極端に少ないのは事実でしょう。

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女性の鉄道員さんです。背筋をぴんと伸ばし、直立して列車の運行を見守っていました。

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駅に止まっていた鈍行列車。

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集合住宅のようです。赤い塔には何かスローガンらしきものが書いてあるのでしょうか。朝鮮語が読めれば楽しいでしょうね。残念ながら何が書いてあるのかわかりません。

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740分、平壌駅に到着しました。

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北朝鮮のガイドも何という人かもわからなかったのですが、何も心配はいりませんでした。ガイドの方では、私たちの情報を把握しているので向こうから私たちを探し出して声をかけてきました。

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ガイドの金さんという男性、黄さんという女性、2人とも日本人と変わらないくらい流暢な日本語を話します。彼らに連れられ平壌で一番高級な高麗ホテルへ向かいました。やはり、平壌ナンバー1のホテルでもインターネットはできないようです。テレビに関しては、日本のNHKワールドを始め、アメリカのCNNや中国の番組も見ることができましたが、朝鮮人が宿泊する場合は放送受信に制限をかけ、北朝鮮の番組しか見れないようにするということでした。

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まずは、入国に乾杯です。北朝鮮の大同江ビールなかなか美味しいです。

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ホテルで夕食です。ガイドの説明によると明日は板門店へ観光にでかける予定ということで、楽しみです。

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