



















タイはやっぱり大好き。また来ます!
ミャンマーのタチレクへバイクで入り、明日は町の東を抜けて国道4号線をどこまで行けるのか調べようと思っていたのですが、20日帰国の予定が、急遽帰国せねばならないことになりました。
昨年、ミャンマーをバックパッカー旅行したときは、インターネット環境の悪さに閉口したのですが、ここはさすがにタイ国境の町タチレク。ちゃんとネットもつながります。昨晩大韓航空にメールで、なるべく早い便に変更してもらうようお願いしておくと、今朝すぐにメールを返してくれ、今夜の便で帰国できることになりました。
これから明日まで、大移動の開始です。
ミャンマー、タチレクのコメットモーテルの横ではちょうど朝市をやっていました。見学していきます。
女性がほっぺに黄色い粉を塗っています。タナカという木を削った粉です。日焼け防止のために付けるそうです。
この手前の木がタナカです。何かめずらしいことでもあんのかい?みたいな顔のおばちゃん。
表通りでも道路をきちんと舗装してあるのは道の真ん中付近だけ、裏通りになると土がむきだしです。乾季の今は土埃が舞っています。雨季になると道がドロドロにゆかるんでしょうね。
衛生観念もタイに比べると低くなり、ゴミも多く、川の近くは腐ったようなどぶの匂いが漂っていました。すぐとなりがタイなのにやはり国をまたぐと雰囲気が大きく変わって面白いです。それでも、ここタチレクはシャン族といってタイ人に近い民族なので、タイ人と同じ顔つきをした人が多く住んでいます。この先西へどんどん進んで行くに従いディープなミャンマーとなり、更に西へ進めばインドがあります。いつか、ぜひ通り抜けて、人々の生活や文化の変わって行く様を眺めてみたいものです。
タイはオレンジ色がお坊さんのまとう布の色でしたが、ミャンマーではチベットなどと同じ小豆色です。
子供のお坊さんにお布施をする市場の人たち。
ミャンマーを出国します。税関の書類を回収され20バーツ支払い、イミグレーションでは入域許可証を戻してパスポートを返してもらいました。タイ側では、税関書類を税関に戻して、タビアンロット(バイクの登録証)を返してもらい、イミグレーションでTM2の書類を戻し、アライバルカードに必要事項を書いて出せば、パスポートに入国印を押してくれます。これで手続き終了。
チェンダオまではちょうど200キロの距離でした。これで、私たちの東南アジアツーリングも一応終了です。今後、機会があれば、インドのアッサム州などミヤンマーと国境を接する地域、フィリピン諸島、インドネシアのまだ走っていない地域、もちろん、中国やミャンマーなども行ってみたいです。
青いラインは昨シーズン(2012~2013)のインドシナツーリングルート、赤のラインが今回(2013~2014)のルートです。
今回走った距離はベトナム6900キロ、タイ4020キロ、マレーシア2820キロ、シンガポール78キロ、ミヤンマー45キロ、合計で約13800キロでした。
●アジア編まとめ
2000年から3年9か月かけて走ったユーラシア・アフリカツーリングのときに回れなかった地域があります。中国やミャンマーが陸路でのバイクの入国を認めていないので、そのときは、インドシナ半島をルートから外しました。また、スリランカや台湾という国も行きたかったのですが、島なので外しました。
それら、行けなかった地域を少しづつ回って行こうと2年前に旅を再開しました。2年間で訪れた地域は、韓国、北朝鮮、台湾、インドネシア、スリランカ、そしてインドシナ半島です。
北朝鮮とミャンマーはバイクでの旅行が難しかったので、電車やバスや車での移動でした。韓国は下関から釜山へ自分たちのバイクを運んでツーリングしました。その他の東南アジアエリアは100CC程度の小さなバイク、カブでツーリングしました。地元の人たちが生活に使っている小型バイクでの旅行は、小回りが利いてちょっと止まって写真を撮ったりと大変便利。スピードもそれほど出ないので、ゆっくりと風景を楽しむことができたと思います。
アジア編にここで一区切りを付けて、次は北中南米大陸ツーリングです。出発地はアメリカ、6月出発を目指して準備をはじめます。
今日はタイのメーサイまでバイクで走って国境を越え、ミャンマーのタチレクへ行って来ます。
昨日泊まったメーサローンの朝市。国民党残党の中国人や、少数民族の人たちの住んでいるタイでも特殊な地域です。
タイ側、メーサイの国境へ来ました。イミグレーションでバイクの書類とパスポートを見せ、ミヤンマーのタチレクへバイクで行きたいというと、書類をチェックした後、その先にある税関でまず手続きをするように言われました。
税関へ行くとこの書類を作ってくれました。その代り、バイクの登録証の原本、タイではタビアンロットと呼ばれている緑色のバイクの書類は税関に預けなくては行けませんでした。ミヤンマーから戻って来た時返してくれるそうです。また、私たちはミャンマーへ行っている期間を余裕を持って3日間で申請しましたが、遅れると1日につき1000バーツ(3200円)の罰金になるので充分注意するようにと言われました。
次に、イミグレーションでは、私たちが準備していたTM2と呼ばれる書類にスタンプを押して、返してくれました。この書類もミヤンマーから帰ってくるときに必要になるそうです。
以上2つの書類をもらったら、パスポートコントロールへ行って、パスポートにタイの出国印をもらいます。これでタイ側の手続きは終了。
タイ・ミヤンマー両国に架けられた橋を渡ってミヤンマー側へ向かいます。
ミヤンマーのイミグレーションへ行くと、パスポートを預け、14日間有効のエントリーパーミット(入域許可証)を作ってもらいます。料金は500バーツ(1600円)と言われますが、アメリカドルで支払うことができますか?と聞くと10ドル(1100円)とのこと、当然アメリカドルで支払います。
イミグレーションの職員に、もし、ビザを持っていれば、このままヤンゴンの方へ旅行を続けることができるのかと聞くと可能だとのこと。私たちはタチレクまでバイクで行くが、ビザがあればバイクでタチレクの先まで行けるのかと聞くと、ビザがあっても、外国人がバイクで行けるのはタチレク周辺までとのこと。
あくまでも、タチレクのイミグレ職員の話なので、行ってみたら行けちゃうかも、そこはわかりません。ぜひ、誰かトライしてみてください。
イミグレーションでパスポートを預け、エントリーパーミットをもらったら、次は税関へ向かいます。35バーツ(110円)と言われ支払うと、黄色と白の紙をホチキスで束ねてくれました。これが、何の紙なのか今一つわかりません。これで手続き終了です。
無事にバイク共々ミヤンマー入国です。
とりあえず、宿を決めちゃいましょーということで、コメットモーテルへ。エアコンツインが600バーツ(1920円)。エアコン無しは400バーツですが、高くてもエアコン付きにしておきます。
早速町を散策します。自分用のおみやげに、ミヤンマーのバイクのナンバープレートを買いました。インテリアにも良さそうです。1枚50バーツ(160円)。
この辺りがタチレクの町の中心です。
その後、行けるところまで行って見ようと西へ進むとチェックポイントがありました。ここの人たちは、英語が全員話せないので要領を得ませんでしたが、とにかくここ以上は行けないそうです。パスポートとミヤンマービザがあった場合はどうなのかも英語が解らないため確認できませんでした。
タチレクの町へ戻って今度は東へ進んでみます。後ろの店はセブンゴールドというコンビニ。手前はマクドナルドをパクったバーガーショップ。どちらも、中国系のお店のようです。
3人乗り禁止の看板の前を3人乗りノーヘル部隊が颯爽と駆け抜けていきました。
タチレク郊外、のどかな道が続きます。
田舎道のお寺に立ち寄ってみました。
お寺のニャン公です。
路上の動物病院です。ワン公、路上で手術中。がんばれ!
タチレクのガソリンスタンドです。スタンドのメーターもタイバーツ表示。1リッター33.5バーツ(107円)でした。タチレクで流通しているお金はタイバーツのようです。ミャンマーチャットはタチレクでは使われてないのでしょうか?
タチレク郊外にて。
お寺にあった、やたら陽気な像。
お寺にあった、坊さんいっぱいの像。
タチレクの町で一番目立つ丘の上のパゴー。
ミャンマーの新聞。中国がミヤンマーのガスをパイプラインを通して買うとか、そんな内容のようです。左の男性の派手なジャケットはバイクタクシーの制服のようですね。下半身はもちろんズボンではなくミヤンマーの正装、ロンジーと呼ばれる腰巻き布です。
タチレクまでのルート。
いよいよ出国の日が迫ってきました。出国は3月20日です。あと5日間あるので最後のツーリングに行ってきます。
ルートはどうしよう?メーホンソーンへ行くのもいいな、何て思っていたのですが、「ぽこけん」を見てくれている「猫大好き」さんが、3月14日のブログのコメントにミヤンマーへバイクで入国した人のブログを添付してくれました。それを読んでメーサイなら近いし、私たちも真似して行ってみようということになりました。ブログによると、国境の町タチレク周辺しか回れなかったようですが、ミャンマーを少しでも走れるなら、私たちにとっては、それでも充分魅力的です。
チェンダオナマズさん宅を出発です。飼い猫のキンちゃんが、気を付けて行ってくるにゃ~、と見送ってくれました。
1か月前と大分季節も変わってきているようです。あちこちで花が咲き初めています。気温も南部から来たので涼しく感じますが、1か月前と比べると大分高くなってきました。焼畑のシーズンなので、煙で空が白っぽくなってしまっているのが残念です。
2年前にもこのバイクで来たことのある、アルノタイへ来てみました。この町で食べた餃子が美味しかったのでまた食べようとやって来たのですが。。。
残念ながら、「新装開店準備中、4月オープン予定」の貼り紙がありました。
仕方なく他の店で昼食を食べることにします。店の看板も出ていない麺料理店。素朴な店構えに強く惹かれ、ここで食べてみることにします。
3種類の麺が選べましたが、中華系の黄色い麺で汁有りのバーミーナームを注文しました。日本のラーメンに近い味です。この店の具はネギとひき肉。タイにしてはボリュームたっぷりの量で満足でした。1杯20バーツ(60円)。先日まで南部にいたので、安く感じます。
アルノタイの後は、チェンダオナマズさんに教えてもらった、マリガ温泉というところへ行ってみました。地面からブクブクと高温の湯が沸き、湯川となって流れていきます。素晴らしいんですが、何せ熱い、とても入浴できるものではありません。
チェンダオナマズさん情報では熱い湯が流れて行き、ちょうど国道と交わる付近が良い湯加減とのことでしたが、入るのは良しとしても、出るときにドロだらけになりそうなので、入浴はパスしました。今、温泉公園のようなものを建設中でしたので、整備されたら入ってみたいものです。
ガソリンの自販機には「油」と中国語表記もあります。アルノタイもそうですし、これから向かうメーサローンも、蒋介石時代の国民党の残党員が逃れた地域なんだそうです。皆さんご存じのように、第二次世界大戦の終結後、毛沢東の共産党と蒋介石の国民党で戦争になり、毛沢東率いる共産党が勝利し、ほとんどの国民党員は蒋介石と共に台湾に逃げ込みました。ですが、全ての人が台湾へ逃げたわけではなかったようです。タイ北部のこの辺りに逃げて来た人も多数居たそうです。タイ北部に限ったことと思っていたら、驚くことに、昨年ツーリングで訪れたカンボジアのラタナキリ周辺にも、国民党残党員の村がありました。
アジア旅の魅力のひとつに、たった50年から100年前の現代史がそれぞれの国の今の状況に直接、大きく影響しているのを目の当たりにできることがあると思います。人間は愚かで残酷ですが、しでかした歴史をたどれば、驚きの連続で現代人の私たちを飽きさせることがありません。
メーサローンでは昨年も泊まった新生旅館に泊まります。トイレ、シャワー共同の部屋はツインで100バーツと安いのですが、私たちは裏手にあるバンガローに300バーツ(960円)で泊まりました。
こちらがバンガロー。古いですが、なかなか快適です。新生旅館の隣には小屋旅館という宿があり、同じようにバンガローもあります。小奇麗で新しくて500バーツでしたが、私たちにはここの300バーツのバンガローで充分です。
しかしながらこのメーサローンという町、というかひとつの山ですが、何でこんな不便な山の中で暮らしていたかというと、毛沢東の共産党を打ち破るために、人目につかぬこの地で密かに軍事訓練をしていたらしのです。そんな国民党の末裔たちも今はすっかりタイ社会に溶け込んでいるように見えますが、やはり、中国人はどこへ行っても中国人という気がします。
日本人はアメリカへ行けばアメリカ人に、ブラジルへ行けばブラジル人になろうと努力し、意識も変わって行きます。日系のブラジル人にスポーツの試合で日本とブラジルが対戦したらどっち応援する?と聞いたら間違いなく、ブラジルと答えるでしょう、なぜなら、自分はブラジル人だからと。
中国人はどうでしょうか。華僑というのは、アジアやヨーロパ、アメリカだけに居るわけではありません。驚くことに、ありとあらゆる国に根を下して生活しています。中米、南米、アフリカの奥地やサハラ砂漠にも居ました。自分たち以外読めないだろうという漢字の看板を堂々と掲げ、商店なり食堂なりを出しています。世界中どこへ行っても中国人の居ないところはないほどですが、中国人は中国人であることを貫きます。日本語をしゃべれない日系人は多いけれど、中国語を話せない華僑は居ないのではないでしょうか。
話が脱線しましたが、世界の人口の何分の一が中国の人口なのでしょうか?中国国内のみの人口以外に、国籍は違っても、中華系の人を含めると相当数の中国人が居るのではないかと思います。これからの世界は中国人との接触を避けては通れなくなるでしょう。ビジネスはもちろんでしょうが、私たちのような、末端の旅行者でさえも、日本から一歩外へ出ると、中国パワーに圧倒される毎日です。
メーサローンの町でワン公と仲良しの女の子がいました。まー、嫉妬したくなるほどの信頼関係が見えました。これは、お互いが姿を見つけ、駆け寄って抱擁している時の写真です。
こういう子供が年取ると、我妻ぽこゆうこのようになるのでしょうか。
チェンダオからメーサローンまでのルートです。
2013年のお正月にこのあたりを訪れた時の記事は以下です。http://pocoken.com/?p=3854
バンコクからチェンマイへ向けて列車にバイクを乗せて行きました。列車は定刻通り昨日の18時10分に出発。チェンマイ到着は今日の朝8時15分の予定。
寝台車はなかなか快適です。隣はスエーデンから来た19歳の青年。1か月の予定でタイ、ラオス、カンボジアを回る予定とか。車内は冷房も効いていて、下手なホテルよりずっと快適です。寝台なので横になって眠れるし、微妙な列車の揺れがまた心地良い眠りを誘ってくれ熟睡できました。
チェンマイには1時間遅れの9時15分に到着。貨物車両も連結されていたようで、到着と同時に私たちのバイクも下されていました。
チェンマイ駅にはたまたま、チェンダオからチェンマイに来ていたチェンダオナマズさんが出迎えに来てくれました。
無事にバイクを引き取ってチェンダオに向けて出発です。
ここ2年、チェンダオを基点にツーリングしていますが、チェンダオケーブ来るのは初めてです。チェンダオ山麓にある洞窟です。入場料外国人40バーツ(130円)。
その後、チェンダオ温泉に1年ぶりに入りに行きました。硫黄臭もして良い温泉です。
チェンダオナマズさん宅でまったりとくつろぐ、けんいちと飼い猫のキンちゃん。
2シーズンかけて、タイのチェンダオを基点に東南アジアツーリングをしてきました。まだまだ、行って見たい場所は数多くあり、名残惜しいですが、これで一区切りはついたかと思います。今後機会があれば、東南アジアエリアでは、ミヤンマー、まだ行ったことのないインドネシアの島々、フィリピン諸島などもツーリングしてみたいと思います。
何とか、バイクを列車で運べることが分かりましたが、ちょっと気がかりなのは、私たちが乗る列車の貨物車両にバイクを乗せるものと思っていたのに、ホームにバイクを置いたまま出発してしまったこと。ちゃんと手続きはしたし、レシートも残っているから大丈夫とは思いますが、バンコクでどれくらい待たされるのか。
寝台ではなく、2等の座席でしたが、それなりにぐっすり眠ることができました。900キロを眠っているうちに移動してくれんだから、面白味はないものの、楽ちんではあります。
バンコク、ホアランポーン駅到着。バイクの事をインフォメーションで聞きますが、12番ホームへ行けとのこと、12番ホームへ行くと4番ホームへ行けとのことで要領を得ません。
駅の食堂でクエッティオでも食べて、ひとまず休憩。
駅の人に聞いても要領を得ないのでゆっくり構えて、列車の到着ボードを見て、ハートヤイ方面からの列車が来るたびにホームへ見に行くことにしました。すると2回目に見に行ったとき、私たちが到着してから3時間後くらいに到着した列車から私たちのバイクがひょっこり顔を出しました。なんだ、こんなところにいやがったのか。
ハートヤイでしたのと同じような手続きで、今夜6時10分発チェンマイ行きの列車にバイク共々乗る手続きを済ませました。 チェンマイ行きは寝台車と貨物が連結しているとのことです。
料金は寝台上段791(2530円)バーツ、下段881(2820円)バーツ、バイクは1台768(2460円)バーツでした。
明日はチェンマイです。シンガポールまで3週間かかって南下したのに、列車だと、ハートヤイからチェンマイまでたったの2泊3日で移動できるんですね。列車はすごい。当たり前ですが、何といっても、夜中に走り続けてくれるのがすごい。上手く使えばツーリングの強い味方になりそうです。